「絶対的な安心」をなぜ手放したのか。
「わたし」ね。
今、何を失ったら一番悲しいかな、
一番イヤかな、って考えたのよ。
まず最初に浮かんだのが「子供達」
じゃぁその子供達4人から
「お母さんなんか大嫌い‼︎」って言われたら
悲しいのか?って。
全員、「わたし」の前から消えたら
生きていけなくなるくらい悲しいのかって
生きていかないのかって
「わたし」に聞いてみたのね。
答えはノー。
だってすでに何度も嫌われてるし

過去に「死んでもおかしくない」ほどの怪我もして、1度は失うかもという恐怖も味わったし。
「お母さんなんかいなくなればいい」なんて
思春期の子供を育てれば誰だって
一度や二度は思われます。
言われます。^^;
自分が思春期のトキも
「親がウザイ」なんて日常茶飯事。
だから自分が親になれば
「我が身に返ってくるのは当たり前」だからね。
まぁ、返って来て初めて
それに気付くんだけどね。^^;
↑これ、一番大事だと思ってたけど
よくよく考えたら違ったってパターンね。
じゃぁ家は?
仕事は?
お金は?
洋服は?
車は?
親は?
友達は?
旦那は?
社会的地位は?
身体は?
髪の毛は?
この顔は?
手は?足は?
この命は?
…
…
…
…
お金がないなら働けばいい。
家がないなら誰かに頼んで
住まわせてもらったらいい。
仕事は選ばなければいくらでもある。
車はなくても生きていける。
洋服も貰えばいい。
社会的地位もなくても生きていける。
死んでも誰かの中で絶対生きる。
どれもこれも
別に「なくても生きていける」ものばかり。
なのに全て「ある」んだよね。
どんなにあらがっても
必ず「手に入るものばかり」なのよ。
与えてもらえるものばかりなのよね。
ってことは…
「全てのおかげで今がある」ってことなのよ。
すでに絶対的な安心領域に生きてるってことなのよね。
それが分かったから
「わたし」はその意識さえも手放したの。
だって「すでにそうだから」
わざわざそれを求めなくても
「必ずそうなる」んだから。
究極の矛盾
「死んでも生きる」んだから。
「安心感」を求めなくても安心でしょ?
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