宿題を書く。

今回の文章講座の宿題は怒りについてのコラムだったと思う。


宿題が出てから自分の中の怒りについてずっと探しているが、最近は怒りよりも悲しみや虚しさを感じる出来事の方が多いように感じる。子どもに対して瞬間湯沸器的に怒りが発現することは多々あるが、熱するのも早ければ冷めるのも早く、理由もほとんど覚えていない。


思春期の頃はわけもなくずっと怒っていたように思う。なんでもできそうな根拠のない自信と社会的年齢的に認めてもらえないジレンマ、女だから長女だからと理由をつけてわたしをコントロールしようとする母親。(今思うと母の話は親として当たり前のものだったと思う)

行き場のないエネルギーを全て母や社会のせいにしていた。


大人になると上手くいかないのは自分の努力が足らないからだと思うようになり、仕事が上手くいかないと胃が痛くなり、旦那と子どもをわたしが動きやすいようにコントロールしようとして思い通りにならないことに日々イラついていた。


そして今、やはり旦那や子どもたちに想いが伝わらないことに虚しさを感じる。昔のように見えないなにかと戦っているわけではない。ただ、ひとりで抱え込みがちな家事や子育てに継続的な助けを求めているつもりが、その場限り1回限りの「お手伝い」で終わり、問題が解決しない日々に疲れた。


話は変わるが、見えないなにかと戦っていたころは人に甘えることが苦手だった。自分ができない言い訳をしているようで、旦那氏にも頻繁に家事や育児を頼むことができず、空気を読めよと無言の圧力をかけていたように思う。今は少しずつわたしのやるはずだったことをお願いできるようになり、任せられるようになった。抱え込まないことで心に余裕と甘えができるのか、戦っていた頃よりも自分が精神的に弱くなったように感じる。緊張が緩んだと言えるかもしれないが、なんだか心許ない。怒りは心を武装させるのかもしれない。