『これは、2009年春に、男鹿へ出掛けた時に、後書きとして更新した内容です。
今年もこの日、防災訓練が行われました。
記事を遡って、また更新いたします。』

 


    
 男鹿半島へは、小学5年の遠足で、一度だけ訪れています。約25年前になります。
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 唯一、楽しい遠足の思い出になっていました。
 入道崎で、白黒のシマシマ灯台を遠目に、皆でお弁当を食べました。
 それから岩場を下りて、ヤドカリやヒトデなどを見つけながら、海辺の珍しさを堪能しました。
 この鮮明な記憶が、いかに楽しかったかを物語るというもの。

 水族館は当時、遠足コースに組み込まれてましたので、ガラスの壁がなくペンギンやウミガメが見学出来ましたが、生臭かった記憶があります。
 2004年に、魚の形に生まれ変わって新装開業し、以来ずっと行ってみたかったところでした。
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 さて‘思ひで日本海っ’の記事に『悲しい記憶』がある、と触れています。
 私に限らず、男鹿と聞けば、思い出さずにはいられない、痛ましい出来事がありました。

 1983年(昭和58)5月26日
 11時59分57秒 日本海中部地震発生。
 国内の死者104名
 内‘津波’による死者100名

青森から山形、遠く九州、海外まで被害が及んだマグニチュード7.7。

 特筆したかったのは、遠足で男鹿市の加茂青砂を訪れていた小学校の児童が多数巻き込まれたこと。当時のニュースをご存知の方は、いらっしゃると思います。

 その地震発生時、給食当番だった私は、準備中のスプーンを床に落とし、何が起きたのか訳分からず、立つのがやっとでした。
 校内放送が響き、急いで校庭へ避難しました。走ってはいけません。急いで!
 海からほど遠い内陸でも、恐ろしい地震でした。

 そして翌年の遠足が、男鹿半島でした。
 バスガイドさんが説明する海岸線、みんなで車窓から見下ろしました。
 晴天に明るい砂浜が続き、ワカメがそこかしこで天日干しされています。
 長閑な海辺の風景に感動はしつつ、やはりテレビ報道で見た、津波でさらわれた児童たちの、遺留品を思い出していました。

痛ましい記憶の男鹿半島ですが、唯一、楽しかった遠足として心に残っているのは、今となっては意味があるように思えて不思議です。
 楽しく、無事に遠足を終えたかった仲間達が、共に生きているからかも知れません。
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 「いたぁだきます!」
弁当を広げ、歌うように手を合わせる‥元気な声が、今も聞こえてくるようです。
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