千年をつなぐ歌と祈り 権力ではなく文化の中心へ 日本の魂の軸としての天皇 | 「今日は最高な一日にするぞ。」と唱えて一日を始めてみませんか?

「今日は最高な一日にするぞ。」と唱えて一日を始めてみませんか?

何か面白い事ありますか?
無いのなら面白くしてしまえー!

私はここで是非を論ずるつもりはありません

 

政治の話や天皇制に賛成か反対かそうした議論をしたくはない

一人の人間としてなぜ日本国天皇陛下が必然であると考えるかを

話したいのです


日本人は満開の桜にも心を奪われますがそれ以上に散りゆく桜に胸を打たれます

この感受性は教えられて身につくものではありませんされど千年前の歌人から

今日の私たちへと確かに受け継がれてきました

 

伊勢神宮の式年遷宮では20年ごとに隣の敷地に

新しい社殿を同じ形で建て

神様をお移ししたうえで古い方の社殿は取り壊していきます

見た目だけを見れば新しいものに建て替えているようですが

そこでは「古いものを残す」ことよりも

「同じかたちを繰り返しながら、神聖さと伝統を受け継ぐ」

ことが重んじられています


そこにあるのは形そのものを

永遠に残す西洋の「石の文化」ではなく

形を更新しながら命と時間をつないでいく「木の文化」という主張です
つまり、伊勢神宮の遷宮は、形は新しくしても本質は途切れずに続いていく

日本文化の考え方を象徴する営みなのです


 

文化には形はなく言葉も、住まいも、衣服も、千年のあいだに

大きく変わりました

にもかかわらず、私たちは万葉の歌に心を動かされる

千年前の日本人と今の日本人が同じ文化のうちにあると感じるのです

形が変わっても同じものが続くその継続を支える軸が必要です

千年の時間を支えるそれがなければ文化は崩れてしまいます

その軸を日本国天皇陛下であり皇室と呼んできたのです

 

なぜ天皇制でなければならなかったのか
権力者権力は必ず交代する武家が起こり幕府が立ちそして皆倒れていった

力によって立つ中心はより大きな力によって打ち倒されるのです

争いの的になるものはにはなれません

 

富も同じです栄えた家の財は移ろいます

継続する場合もありますが過去の戦争、財閥解体や大恐慌を見ても明らかです


天皇制はなぜ千年以上続いたのかそこには天皇という存在の特異さがあります
天皇は長い歴史のほとんどの時代、権力を持たなかったからです

 

政治は貴族や武家が担った富も兵も持たず何も奪わず何も主張しない

いわば、無欲の存在であったのですそしてこの無欲こそが答えなのです

 

何も持たぬ者からは何も奪えない何も主張しない中心は誰の敵にもならない

権力の中心は倒す価値があるから倒される

されど、無欲の中心には倒す理由そのものがないゆえに千年を超えて残ったのです

 

では、その天皇が何を伝えてきたのかそれは歌と祈りです

歴代の天皇歌を詠み続けてきました(今も歌会初めが有ります)

詠む歌と名もなき庶民の詠む歌が同じ

みそひともじであることが肝心です

「みそひともじ(三十一文字)」とは和歌や短歌の別名

  五・七・五・七・七の音(文字)からなる合計31音で構成されていることに由来します

から民まで同じ調べ同じ美しさを分かち合う

山の頂から裾野までひとつの流れとして

つながっている天皇とは命令の頂点ではなく美の座標の原点でなのです
権力の中心ではなく文化の中心と考える事がこの意味における天皇なのです

 

歌と並んで、天皇が絶やさず続けてきたものがもう一つあります

それは祈りです

民の幸を祈る

国の実りを祈る

命じるのではなく祈る

求めるのではなく祈る

この営みほど無欲という言葉にふさわしいものはありません

世界を見渡せばこの形がいかに稀有であるかがわかります


どの国でも王朝は興っては滅んだ革命が起これば王の首が飛び

古い王家の断絶とともに古い文化までも断ち切られた国は少なくない

日本だけが軸で続いてきたのです

 

日本人が特別に優しかったからではなく中心が無欲であったからなのです

争う値打ちのある中心であったならこの国でもとうに倒されていたでしょう

我々が今を生きるこの時代こそ、そのが最も必要とされる時代だと考えます


世の中は豊かになったが金で買える豊かさは、金で買えぬ価値を押し流していきます

役に立つか、儲かるか、その物差しだけが幅を利かせるようになります

そんな時代だからこそ、役に立たず、儲からず、ただ千年続いてきたというだけの

存在が必要なのです
すべてが値札をつけられて流されていく世にあって値札のつけようのないものが

ただ一つ動かずに立っているそれは、魂の軸のようなものではないでしょうか

 

最後に申し上げますが
私自身、天皇制は過去を引き継ぐものだとは考えません

むしろ、未来のための存在だと考えます

数千年のは古びているだけではなく常に磨かれ輝ているのです

 

百年先の子どもたちが、今の私たちと同じように桜を見て胸を打たれる

散る桜に心を動かし、同じ文化のうちに生きる

を守るとは過去を懐かしむことだけではなく未来へ文化を手渡すこと

と考えます

色々な論争とは別のところに天皇という考え方がある

それをどう受け取るかそこから先は一人一人の自由です