草軽1の補遺、最長軽便と「我田引鉄」の浅間三宿 | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

シリーズが終了していないのに「補遺」とは何事だー!!というツッコミは

なしですよ。。。

<始発駅>

●クサカル起業時のルート決定にあたっての「浅間三宿ー追分、沓掛(現・中軽井沢)、

軽井沢」のオモワク

路線決定までの旧・中山道(まさか諸賢はどこぞのアナウンサーのごとく

「いちにちじゅう・やまみち」などとは発音なさらないとは思いますが)、

有力宿場町、浅間三宿は各々始発駅誘致に必死だったようで、ほぼ、「軽井沢」に

決まりかけてからも、沓掛の抵抗は相当なものだったよです。

その妥協の産物が「鶴溜」駅に「沓掛駅」からの草軽への誘導に使用するという

ものでしたが、軽井沢ー新軽井沢のごとく、駅前広場を挟んで向かい同士と

いうのとは全く条件が異なり、沓掛ー鶴溜間の客の往来はほとんどなかったようで、

予想通りと申しますか、沓掛側の見通しの甘さが目立った一件となりました。

そもそも、「沓掛」という地名、長野ばかりではなく、全国に散らばっていますが、

寺社や、最後に泊まった宿の軒先に今まではいてきた履物を「掛けて」これからの

旅の安全祈願を行ったことに由来し。付近の宿場からはただ1か所、つまり「1番

格式ある」宿場町であるとされていたようです。それが、後からできた「新参・

軽井沢」に交通網の主役が移ってしまったのですから、落胆も大きかったと

思います。

現在も沓掛⇒中軽井沢と改名したのは、「あくまでも自分たちのエリアが周辺で

<中心>である」という意思表示であろうかと思われます。事実軽井沢町役場は

中軽井沢駅からほど近いところにありますし、

軽井沢駅近くの小学校名は「軽井沢東小学校」を名乗ります。

 

つぎに、前回本文中で、クサカルを日本有数の軽便線と書いてしまったので、

ランク表も作ってしまいました。

***(#)軽便線キロ程のランク

●単独企業

1.岩手軽便鉄道ー65.3km

2.草軽電鉄ー55.5km

3.沖縄県営軽便鐡道ー47.8km

4.仙台鐡道ー1928年全通時:44.9kmー1937年、市電と平面交差問題で短縮:44.6km

                  ー1947-49年の3年間連続して台風の水害で地盤橋梁など流失、

      '50、社北仙台ー上中新田休止の廃止、残存の中新田(西古川)までの

      路線3.4kmも1960年廃止 *仙台鐡道は6/16加筆しました

5.河西鐡道、苫小牧軽便鉄道ー43.6km

6.十勝鐡道(初代)ー41.8km

7.藤相鐡道ー36.7km(東海道[藤]枝と大井川をこえた[相]良地区を結ぶ鐡道)

●●(戦時)合併後など含めた順位

十勝鐡道(二代目)ー85.4km,上記「河西鐡道+初代・十勝鐡道:戦時統合」

②岩手軽便鉄道-65.3km

③静岡鉄道駿遠線ー64.6km「昭和大恐慌で<駿河岡部ー大手4.8kmを廃止していた>

    藤相鐡道31.9km+中遠鐡道17.4km+両鉄道の新設連絡線15.3km,S23.12)」

④草軽電鉄ー55.5km

⑤沖縄県営軽便鐡道ー47.8km(S20の沖縄地上戦で休止:事実上廃止)

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参考:日本鉄道旅行地図帳 北海道/東北/関東1/東海/九州沖縄 今尾恵介 氏 監修 平凡社

***

 

以上が前回書き漏れしたとこかと思います。

次回から、また、クサカル本編に戻ります

 

最後までお読みくださいましてありがとうございました。

 

草軽1の補遺、最長軽便と「我田引鉄」の浅間三宿

 

  カラスのクンセイ 拝