”松浦鉄道の「ヤル気」・・・「旅名人」様のレポートを眺めつつ”/「リブログ」二伸 | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

「リブログ」の記事は「がーさー」様が松浦鉄道沿線を、「白い白馬(黒い白馬ってあるのかよ)」・・・

にのって行脚された際、書いた記事で、中に「国鉄⇒松浦鉄道」となった鉄路の路線図が

書かれています。

 

今回、「歩王様」が「伊万里駅」のレポートをお書きになり、5/19、早朝、投稿されたようですので

当時、付近の交通網の主役でありました、「北九州鉄道」について多少加筆したいと思います。

なお、参考図書は、「買収私鉄探求シリーズ 3 北九州鉄道とその車輛」 谷口 良忠 氏 著 

RAIL '78.9月号 pp10-19 No.5 PRESSE EISENBAHN

 

*加筆しますと、加筆部分が「リブログ」の囲みの上のみついkされていき、

   タイトルからは<リサイクルマーク>のような「リブログ」サインが消えてしまうので

  二つに分けました・・・やり方わりィかも?

 

●北九州鉄道御略歴

 ・起業:T8(1919).3.15

  ・運輸開始:T12.12.5、浜崎ー現:福岡市新柳町、12.59km、j蒸気動力

         T15..10.15、博多ー東唐津52.8km開通、

         S10(1935).3.10、伊万里到達、東唐津から33.4km

                   S12.10.1;鉄道省買収、筑肥線となる。ナンカ鉄道省って、セコクない?

         路線図アリマス。

 

●ガソリン動車を頻回運転、速達の目的に、早くから(S5-)大量に導入(キ:ガソリン、ジ:ディーゼル)

  時刻表アリマス

  ■キハ5(5-10)、昭5、10.9m,定員60人、ブダBA6(40.8PS)⇒昭12.K428(56.6PS)

            鉄道省買収前にキハ10が事故廃車、5-9が5020形式へ

            昭19,元5-7のみ「キハを経て、キサ21-23となり東武矢板線へー

            21のみ寿都鉄道へ、22と23は東武で廃車

            「キ」はおそらく、「揮発油」の「キ」でしょう、本形式のみ片ボギー車

  ■ジハ20(20,21):昭8、13.5m、,16.5t,104馬力、坐43人立33人ー買収・省キハ40650(0,1)

  ■ジハ50(50,51):昭10、15.6m、,20.0t,120馬力、坐48人立44人ー買収・省キハ40650(2,3)

             さらに払下げ(2輌とも)-昭和26、大分交通・国東線

    ■ジハ(60,61):昭11、17.02m、,20.8t,139馬力、坐54人立52人ー買収・省キハ40850(4,5)

           ーさらに払い下げ(ジハ61-キハ40655)-大分交通・耶馬渓線キハ105

   ☆4形式11輌が省線に引き継がれました。

     しかし、20-50-60は少数派のドイツ、ザウラーエンジンだったことから、比較的早く、

     国鉄から追い出されています。

     在籍は昭和12-26年の14年間ですが、二次大戦中の燃料統制期間を差し引くと10年+αも

     働いたのでしょうか?

 

  ☆これ以上の大量買収となりますと、やはり、中国鉄道(現・津山線、吉備線)の17形式、

    27輛がトップでしょう。形式数は、おおいものの、ほぼ全車両、大型車、エンジンは100PS

   走行装置は2つのシステムのみの採用で統一されていたといいますから、省線で長く

   使われ、さらに払下げ会社でも長命だったようです。

 

●<図ー1>唐津付近路線図>

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図の下の方に行きますと「相知オウチ炭坑」なる貨物駅が見えますが、「唐津炭田」は

享保期(1700年始め)から栄えた相知炭鉱と1900年当初から急速に開発が進んだ

杵島キシマ炭鉱からなり、唐津港から積み出され、街の発展に寄与しました。

しかし、後発の筑豊炭田、三池炭田(大牟田)には、官営八幡製鉄所(現・新日鉄八幡)の

石炭シェアで後れを取りその後しばらく低迷。しばらくして、合理化と、大鉱山だけ残し、

石油プラントを導入するなど努力、一時期、一人当たりの採炭量国内一位を続ける

ところまで回復しますが、国のエネルギー転換政策の影響はいかんともしがたく

昭和47(1972)年、全山閉山となりました。

唐津市の人口は昭和30(1955)年がピークで約19万人。

平成17(2005)年平成大合併。この直前の人口が78850。2019.10.1現在:119200人

忘れていたわけではありませんが、九州には、このほかに、長崎に西彼杵ニシソノギ炭田

(端島=軍艦島はこちら)と北松ホクショウ炭田(松浦郡の北側、佐世保炭田とも)がありました。

大分、宮崎、鹿児島は炭田なく、熊本には中小の炭鉱がありました。

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●<図ー2A>昭和10年の時刻表:伊万里到達直後か?

  はAm-Pm12時間ずつでゴシックが午後を表す当時としては一般的な表記

  昭和18年頃から24時間制に移行します。

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黒い■の御札のようなものは「急行」とかいてありますが、予想より小さくみえづらくなりました。

上の時刻表、左うえ1/4(伊万里方面行き)だけ拡大してみました

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●<図ー2B>図ー2Aの左上1/4,伊万里方面行きを拡大

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ひととおり書きたいことは書きましたおで、ほっとしています。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

 

「がーさー」様、「歩王」様 例によって、ガサツな表現ありましたらご容赦下さい。

 

”松浦鉄道の「ヤル気」・・・「旅名人」様のレポートを眺めつつ”/「リブログ」二伸  了

 

  カラスのクンセイ 拝