私は昭和31年生まれですので、戦争を知りません。
よく、「戦禍を忘れないために語り継いでいきましょう」
というキマリモンクをキキマスガ、
「戦争未経験者間で、一律に戦争の悲惨さをレンメン・子々孫々浸透させていく・・・」
そんなことは絶対無理です・・・
終戦の日、満州の独立歩兵大隊の一員だった母の長兄が、昭和20(1945)年8月9日、
北満から侵攻してきたソ連機械化部隊にコテンパンにやっつけられ、その後3年間のソビエト抑留生活。
昭和23年帰国。その後10年ほど深夜突然起き上がって、意味不明の「オタケビ」ともつかぬ大声を
あげてまたねてしまい、翌朝まったく覚えていない、あるいは戦争中の実際の戦車部隊に
追いかけられる夢を見ていたといいます。
私の母。
上に紹介した、長兄の下にもう一人兄がいて、師範学校からの学徒出陣となりました。
母は、二人の兄たちと少し年齢が離れており、昭和20年8月14日までは旧制女学生で、
学内では、
「2人のお兄様、お国のために戦っていらっしゃるのですってね!!
かっこいー(と言われてかどうか??)」
とヒーロー扱いだったようです。
それが、玉音放送を境に、
「日本を滅ぼした亡国のヤカラの妹!!」
と、大いに傷つけられたとか。
私には、上の二つで、戦争の思い出は十分であります。
確かに、二次大戦での、戦死の将兵300万(360万人とも)、銃後の国民の
犠牲は60万人。
原爆犠牲者、広島27万、長崎9万。沖縄地上戦、民間人死亡者10万。
どれをとっても痛ましい話です。
しかし、伯父、母の経験談から比べると、自分にとってはやや距離がある話なのであります。
ですから、冒頭のべたように、戦争経験は、今後ますます個人個人で温度差を増していく
分野かと思われます。
それから、モー一つ。
議員さんたちの、終戦日の靖国参り。
いけませんか?
私は、国を守るために。戦ってくれた2人の伯父たちが祭られている神社に国政の代表者が
お参りに来てくださるのは、ちょっぴりうれしい気がしないでもないのです。
残念なのは、
「参拝日が終戦日とは何事!!」と
なんとジュー箱の隅をつついたディスカッションになっていることでしょう?
毎年思うことですが、その前に何かやっておくことはありませんか?
3週間ほど前の話題ですが、***から中距離弾道弾が飛んできたときの阻止率は30%。
同じころ流れていたニュースでは、熊本災害の復旧率は同じく30%。
確かに、弾道弾を阻止できなければ国は亡びるかもしれません。
しかし、内政、・内需をしっかり立て直してこその周囲を見通す力が倍加するようになると思うのですが・・・・
日本の一地方の天災の後始末より、そんなに周囲の軍備が気になりますか?
本日敗戦日:「終戦記念日」という言い方がとてつもなくいやです 了
勢いあまってまた買って書かせていただきました。
問題が多い一文ということは十分わかっています。
不愉快にお感じになる方もおいでになりましょう。
しかし、
ここ20年ほど私が、オモッテイル、終戦日に感想を知っていただきたくて
書いてみました。
最後までお付き合いくださいましてありがとう存じました
カラスのクンセイ 拝