三菱美唄鉱→現・メモリアルパークのオハナシ:コメントにかえて | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

 

①写真ー1:最盛期、昭和30年代の山元・常盤台

例によって保存状態が最悪だったためか?コントラストが悪く

歩王様のレポートにある「鉱山の操業当時は引き込み線だらけ」というには

不鮮明でよくお分かりにならないと思います。スイマセン。

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②写真ー2:苦し紛れに写真ー1の「風坑」を3倍に拡大してみますと・・・

次の写真のロケット状のものに少し近づいたかな?といった感じでしょーか?

・・・・・・

③写真ー3:メモリアル・パークの現状

「風抗」2本が残されているだけです。

歩王様の「宮原・万田坑」をあれだけの「ピッカピカ」に維持するだけでも

大変な金がかかかるようです。(「ピッカピカ」に見えるようにとってきた

カメラマンのさえた腕にも<イイネx10>ほど送りたいですが・・・

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写真ー1のホソクですが、全体的に写真がテーブル状になっていて、手前から道路、炭礦関係の詰所、

あとは写真奥のピラミッドのような建物の手前まで軌道です。

原炭ポケットは、採炭してきた鉱石を一旦ためておいて、そこから、美唄鉄道終点の「常盤台の選炭場」に

運ぶまでの、一時オヤスミドコロ、といった場所です。とユーのも、「わかりますか?SL群」はモッサリしていて

わかりづらいでしょうけれど、5線並列でそれぞれ、一旦「セキ車」を20-40輌ずつ連結、ピストン輸送

していますが、それでも、運び出す量より、採炭量のほうが多かったようで、オヤスミドコロを作ったようです。

 

私は、幼稚園入園前2年半美唄鉄道沿線の盤の沢というところに住んでいました。

食事時以外は軌道敷を仕切っていた木の柵にぶら下がって、炭車の数を一日中数えていました(私って

ヘンタイでしょーか?)。

そのころ、地方公務員だった父は①②の写真を地元の方からいただいてきたようです。

もう50年以上になりますので(著作権の消滅、1960年+50年)、開陳に及びました。

またいま、2011年から自分が美唄に出向となったことに運命的な物を感じております。

****<フロク>***

←函館線・上り方:札幌ー(40.6km)ー岩見沢ー(17.1km)ー美唄ー →下り

                                     L(美唄鉄道線、10.6km)-常盤台

         

    南美唄___(4.0km)ー国鉄美唄___(10.6km)_____常盤台

         国鉄・南美唄線(美唄から南東)    三菱礦業美唄鉄道

    (山元は三井系)

 

三菱礦業美唄鉄道,大正3(1914)年ー昭和47(1972)年

このあと私は三笠で幼稚園時代を過ごします(産炭地生活5年)

次が寿都で小学1-3年。私の通った後の、美唄鉄道、幌内線、寿都鉄道はことごとく廃線となりました。

私は疫病神でもあるのでしょう?!

 

突然登場して失礼しました。やはり産炭地ネタは燃えますね。

いやな思いもしてますけど(「炭鉱の町 二題 2015.11.11)

特に歩王様完全にお邪魔申し上げました。横入り失礼いたしました。

 

 ヘンタイで疫病神の カラスのクンセイ 拝