近鉄雑感ー志摩電氣鐡道の「垂直カルダン」は「なぜ必殺の近代兵器となりえなかったか??」1/2 | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

またまたおわびから・・・4月4日の記事で「次回はシマデンです」とゆーときながら、こんな時期になりましたこと、もし、あきれてこの記事を御覧になっておいでの方がいらっしゃいましたら、まず、私の、計画性の無さ(アメリカ航空宇宙局ではない方)をお詫び申し上げます。

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前回登場の「近鉄・志摩線24.5km」は、元々、昭和4(1929)年開業の地元「志摩電氣鐡道鉄道会社線」を、

昭和19(1944)年、一旦戦時統合で三重交通にまとめ、そこから、鉄道部を三重電氣鐡道として分離(昭和39)、

翌40年近鉄に合併いたしました。簡単ないきさつは、前回の

近鉄雑感ー列車名を変更すれば「国鉄は近鉄に完敗です」ってば…2016.4.4

http://hama-sush-jp.pro/teinahoshi/page-2.html

に書かせていただきましたが、それぞれの、鉄軌道につきましては、どの線区をとっても、本が一冊できあがっ

しまうほどの「強者・古豪」ばかりであります。

 

三重交通線から引継いだ構成メンバーはすべてが狭軌線でありましたが、志摩電鉄線はその中にあって

唯一の1067mm軌間の狭軌鉄道(ほかは762mmの「社内でいうところの特殊狭軌」)でありました

(762mm軌道線が1435mmに改軌された例としては、元・四日市鉄道の湯の山線が昭和39-1964年に

改軌されています)。

 

当時の近鉄では狭軌線区全体で大型車に6000番台(現在は南大阪線用に限定)、中型車に5000番台を

割り当てており、近鉄合併後の志摩線所属車は全車5900番台となりました。

「シマデン」時代の保有車輌の詳しい話は「Wikipedia◆」などご参照いただければ幸いかと存じます。

拙文では簡単なご紹介にとどめさせていただきました。

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◆Wikipedia:近鉄志摩線

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E9%89%84%E5%BF%97%E6%91%A9%E7%B7%9A

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まず

狭軌時代の全車における共通点として、

①パンタグラフは賢島側、

②三重交通時代から設置した行先方向板は進行方向左(運転席の前)、

③電動車は両運転台で制御車は片運転台などの点があるかと思います。

 

また「標準軌に改軌されるまでの、<1067mm近鉄志摩線>の活躍は5年弱で、この間増備車や廃車は

存在しません(更新の2輌は合併前の三交時代)。当時のモチゴマ総数10両は鋼索線(ケーブルカー)を

のぞけば、伊賀線を下回る近鉄線区別の最小記録であります。

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●シマデン・メンバー

 ◆志摩電気鉄道モニ10形→三重交通モニ550形(551-4)→モ5920形・モ5925形

    ☆下にもう少し詳しく書きました。

   ・ 半鋼製、13.5m車、定員60(座:23)人、自重5920:22.6t/5925:25.3t

   ・ 主電動機:5920:73.6x2/5925:73.6x4,、引張力:1320kg,定格速度:41.0km/h

    ・ 歯車比;3.94(18/71)

  昭和4(1929)年の志摩電気鉄道線開業に備え、同年5月に名古屋の日本車輌製造本店で

    10 - 15の6両が製造された、志摩電気鉄道時代に製造された唯一の電車であります。

   ◆三重交通ク600形(601・603)/602→ク5910形/ク5930形

     朝鮮戦争後(昭和25年)の日本経済復興に伴う観光客輸送需要の増大に応え、昭和27(1952)年5月に

       尼崎のナニワ工機で製作された半鋼製、15m車で、601,603はロングシートで、シマデン10形の改番後4個

   モータになったモ5925形と、602のみクロスシートで後述のモ5400とコンビを組みます。ク5910は志摩線で

   一生を費やし、廃車・解体。ク5930は養老線の近代化のために付随車化され、転出(ク5930形ク5931 →

   サ5931形サ5931)、昭和52年まで働きました。

   ブレーキは サ5931形サ5931を除きAMC-R

  ◆三重交通モ5400形(5401)→モ5960形モ5961→(改軌時・養老線へ)サ5960形サ5961→昭和58廃車

        観光が進みつつあった志摩地区に「乾坤一擲・・・ケンコンイッテキ」って今時分誰も読まないと思うよ・・・

   ま、昭和33年、志摩線におけるサービス向上策?の一環として、名古屋の日本車輌製造本店で製造

   された、当時中小の私鉄で「ちょっとしたブームとなりました、電動機車体装架方式の<垂直カルダン>

   (「直角カルダン」ではありません)搭載の1輌であります。全金製、ノーシル・ノーヘッダー、張上げ屋根、

   17.8m車。扉間の窓中央4枚分をシートピッチ(1450mm)を合わた固定クロスで、車端部と戸袋部はロング

   シート。主に先にご紹介しました、ク602と組んで急行仕業に着きました

   地元、神鋼電機製・垂直カルダン、78.3KWx4、引張力2660kg ブレーキAMM-R

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<写真>「まさにグーゼンの出会い」

三重交通モ5400形→近鉄サ5960形5961(妻面に塗りつぶされた「61」がみえます)

               近鉄・養老線:大垣駅にて、昭和58(1983)年7月17日

も~少し遅かったら会えなかったかもしれないんだね・・・

 

日付は調べきれませんでしたが、5961はこの年に廃車解体となっております。

登場25年後ですが、デザイン的にも古さを感じませんし、くたびれた様子もありません

もったいないなー・・・

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三重交通モニ10形一党

   A:<車体を新製>→モニ550形551⇒モ5210形5211(昭和34年)

               →モニ550形552⇒モ5210形5212(昭和35年)

     観光路線として、図に乗ってきた・・・・波に乗ってきた志摩線でありましたが、いかんせん、一部に

  旧態然とした電車が走っており、こいつはやっぱりまずいぞ・・さりとて、上にお示しした5400は

  高価で、カルダン装置のメインテは厄介(特にハスバ歯車のあたり・・・)。

  そーなると、手段は一つ

  シマデン初代電車の10形→改め550形」の更新しかあるまい、ということになりまして、全金属製、

  ノーシル・ノーヘッダー、張上げ屋根となりますが、古い台車のため、自重が重く、車体長で全体の

  重さを調節するしかなくなりました。車輌長は5400より1.7m短くなり16.1m。

  扉間の窓中央4枚分をシートピッチは好評5400に倣って、1450mmを確保。

 

B:<出力増強処置>開業翌年、新製時より感じておりましたけん引力不足を実感するようになり、

  シリーズ6輌のうち、新製後の早くも翌年、モニ614,615が二個から四個モーターの出力増強の

  改善をうけ、形式も「モニ560形561,562」となりました。

 

C:残った553,554は、さしたる改造も受けずして、昭和40(1960)年の近鉄との合併をむかえたようです。

 

*************************<図ー1>

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●重なりますが・・・<垂直カルダン車・モ5401>とシマデンの急行運転、および過去の「垂直カルダン」車

 ◆簡単な所からいきましょー:「シマデン路線図」:駅名はシマデン開業時のもの。

   ( )内は志摩電氣鐡道時代の鳥羽駅からのキロ程

   鳥羽ー☆中之郷(1.1)ー☆志摩赤崎(2.3)ー船津(3.9)ー加茂(5.5)ー松尾(6.9)ー白木(7.9)ー五知(11.6)-

   -沓掛(12.9)-☆志摩磯部(14.9,#)ー☆迫間(15.9,##)-☆穴川(18.4)-鵜方口(20..4)-☆鵜方(21.3)-

   -志摩神明(23.1)-賢島(24.5)-<貨物線:0.3km>-真珠港

 

・難読駅名:「迫間」=はざま

・☆+ゴシック駅名:急行停車駅 ☆中之郷 etc

・合併後、路線改良後で駅の位置・駅名に変更が出ておりますが、(#),(##)だけは混同しやすいと思いました

 ので、特に載せました。

  (#):☆志摩磯部(開業時)→現・上之郷(14.9)、(##):☆迫間(開業時)→現・志摩磯部(16.3)

 

<参考>

日本鉄道旅行地図帳⑧ 関西1  今尾恵介 氏 監修、新潮ムック 新潮 p33-34 「近鉄志摩線」 平成20年12月18日

Wikipedia 近鉄志摩線 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E9%89%84%E5%BF%97%E6%91%A9%E7%B7%9A

 

 ◆釣掛駆動とカルダン方式

この辺のメカに詳しい読者の方も多くいらっしゃいましょう。

そして、ツリカケ式と並行・直角カルダンについてもここでは、主役ではありませんので、

分類程度にとどめさせていただきます。

 

<カルダン駆動方式・とは?>

はじめに

*「カルダン駆動車の利点」から申し上げます

①モーターの重量が全て台車の軸ばねを介して輪軸に掛かっています→モーターの重量の半分が輪軸に

   直接に掛かる吊り掛け駆動方式と比べて、軸ばね下の重量であるばね下重量が小さくてすみます。

これにより、

②線路のうねり(ピッチング)やねじれ(ローリング)といった変化に対する車輪の追従性が高く、より安定した

   走行性能が得られます。

③モーターが衝撃や振動を直接受けないことから→

   1)モーターの耐性を低く設計して小型化できる。

   2)あるいは同等の大きさでより動力性能の高いモーターを利用できる。

④吊り掛け駆動方式に比して損耗部分が少ないので、

    1)給脂箇所・給脂量共に少なく済み、2)衝撃・動揺による消耗も少ない。

 ことが知られていて、カルダン駆動電車のメンテナンスサイクルは、吊り掛け駆動電車の3倍に

達する場合もあるとかデス。

 

一見、「カルダン駆動」はイートコだらけですが

モーターを軸ばね上の構造に固定するために

 <車輪の上下動に追従しないモーターからの動力を伝達する部材が揺動して、車輪とモーターの位置を

 吸収するシステム>

 が必要です。このシステムが「自在継手」で、上記②のピッチング、ローリング、ヨウイングなどをはじめと

  する、 ねじれ(角)、角速度変化、長さ、長さ速度変化、角加速度、長さ加速度変化など、すべての偏位に

 対応できるものを作らなければなりませんでした。

 吊り掛け駆動方式に比較すると、これらの機構の複雑化によって、車輛の試作費と製作費はずーーーと

 高価なものとなりました(現代はだいぶ様相が変わってきていますが・・・)。

 トコロデ、

 基本的な単体の自在継手である「カルダンジョイント」の名称は、

 原型を考案したイタリアの数学者、ジェロラモ・カルダーノ(Gerolamo Cardano、1501-1576)に由来。

   イタリアのスー学者・・・恐るべし・・・

 

台車装架カルダン方式

 A.現代も生存しているグループ

◆直角カルダン駆動方式
 べべルギア(=傘歯車、動力を主に90度<実際は任意角>にかえて伝える歯車、#)と自在継手に
 より、ドイツで1910(明治43)年、路面電車に実用化されるなど、欧州ではすでに1世紀の歴史があります。
  本邦では、強度と角度(上記#)において、優れた工作機械が作れず、特にWW-Ⅱのあいだ、航空機や
 戦闘艦造りには苦労が絶えなかったようです。 
 
鉄道車輌においては
■国鉄

 昭和26年頃から、主要私鉄および重電メーカー・車両メーカーの協力によって、既存車両の駆動装置を

 改造する形で研究が始まりました。

 第1弾として、昭和27年、国鉄の電気式気動車キハ44000形に

 「DMH17A(150PS)ディーゼルエンジン→DM42直流発電機→MT45電動機(45KW)x2<直角カルダン>」

 という組み合わせを載せてを走っています。

 増備の44100,44200形まで入れますと、昭和28年まで30輌ほどつくられましたが、主電動機は、引き続き

 45kWモーターX2が採用されております。

 44000-44200形は、モデル地区の、房総半島、鹿児島本線(門司港ー久留米間)で、主に使われましたが、

  ローカル線区の勾配区間を克服するには、1輌30ton以上の車輌に対して90kw(=122PS)という非力は

  いかんともしがたく、名だたる登り勾配では停止しまうことも・・・しかも、鹿児島線のトラブル発生時の

  対応には、メカニックさん不足で運用に支障をきたし、本系列は「液圧式ディーゼルまでのつなぎの試用品で

 あることがバレバレ」であることになってしまったとまで言われたグループとなってしまいました

  ・・・ホントカナ??。

 

  これら44000形は、後、液圧式に改造されます(*)が、国鉄が以後の電気車に中空軸平衡カルダンを採用

 しましたので、唯一の直角カルダン車輌となりました。

    (*)一般の電車に先駆けての大量導入でしたが、昭和33(1958)年頃までに液体式変速機に改造、

    電気式は全廃、定着には至りませんでした。

 

■私鉄 / 地下鉄 / 路面電車は昭和28年からカルダン駆動車が出てきました。

 *直角カルダン、**平行カルダンの仲間 (下記ご参照ください)  

 □私鉄電車:いずれも半ば先行試作的なもの

  *3月 東武鉄道5700系5720番台車

       ・・・さまざまな不調に悩まされ続け、最終的にツリカケ車に

  **7月 京阪電気鉄道1800型(中空軸平行カルダンおよびWNドライブ搭載)

       ・・・本形式は完成後直ちに営業運転につき、日本の電車として最初の実用化成功例となりました。

 □**営団地下鉄(現・東京地下鉄):300形(WNドライブ搭載)。

 □路面電車

  *および**東京都交通局5500形電車

  *大阪市交通局3000形

 

◆平行カルダン駆動方式分類

中空軸平行カルダン駆動

WN駆動

  WN=Westinghouse(電気メーカー)-Natal(歯車メーカー)

・TD平行カルダン駆動

  開発メーカーの「東洋電機」の頭文字?

  システムのtwin disc?

    諸説あります。

 

●その他の台車装架駆動方式:紙面の関係で書ききれません・・・

  我が国に記念碑的足跡を残しました「クイル式駆動」以外は、

   恐縮ですがURLのみのご提示とさせていただきます。

  URLは「クイル式駆動方式、Wikipedia」のところにまとめられており、クイル方式以下4項目は共通です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%83%AB%E5%BC%8F%E9%A7%86%E5%8B%95%E6%96%B9%E5%BC%8F

    ◆クイル式駆動方式

   使用車種:①省1020形→ED12(BBC:Brown Boveri Co.より輸入)→西武51,52→同E51,52

          ②本邦採用例:EF60 1次車、ED60,61

    主電動機を弾性支持された台車枠上に固定し、主電動機には、短い中空軸(クイル)を取付けて固定

    させ、その中に車軸を通し、中空軸の外側には、大歯車をベアリングを介して取付けており、主電動機の

    小歯車で駆動されます。車軸に圧入された車輪からは、何本かの「スパイダ」(支持腕)が大歯車側に

    伸びており、緩衝ばねを介して大歯車に取付けられる構造となっています。

    動力の伝達順は、モーター→小歯車→大歯車→緩衝ばね→スパイダ→車輪。
    大歯車と輪軸との間の相対移動の吸収には、大歯車に、円周方向に挿入された緩衝ばねと呼ばれる

    コイルばねに、5 - 8本程度のスパイダを連結する形で取り付けることにより、台車枠と車軸の位置関係の   

    変化によらず駆動力を伝達可能としました。他のカルダン駆動と異なり、駆動装置の重量の90%以上を

    バネ上重量とすることができる利点がある反面、動輪スポーク部分にスパイダが露出、大歯車内に

    スパイダがあって、ここが偏位するためギアボックスを密閉できないという弱点があり、鉄道省では、

    ED12の、特に大歯車のスパイダ穴にたまった砂や埃による磨耗にの管理整備には手を焼いたと

    されます。しかし、走行性能は、他の輸入機関車を圧倒して優秀だったようです。

 

 ◆リンク式駆動方式:クイル式駆動の改善版、ED60,61、ED71、EF60(一次)、EF61、EF200

   EF200以降、ELはツリカケ式で作られることが多くなって来ています

 ◆中空軸可撓吊り掛け駆動方式:本邦ではEF66が唯一の例です。

 

 ◆直角中空軸積層ゴム駆動方式:本邦では、広島電鉄がドイツより輸入した5000形のみです。

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ここまで読み進めてきた皆様へ・・・
 お約束の字数が足りなくなってしまいました。
 毎度のこととは申せ、大変恐縮しております。
 
 どうぞ気が向きましたら、・・・「垂直カルダン」は・・・2/2」もご高覧いただきますよう
 お願い申し上げます。
 
 
近鉄雑感ー志摩電氣鐡道の「垂直カルダン」は「なぜ必殺の近代兵器となりえなかったか??」1/2

 カラスのクンセイ 拝 毎回スイマセン