あの~、これは:役職=人名・功績がベストマッチというわけでありませんで・・・
こんなんだったら、ちょっとオモロイんでないべかって書いてみました。
え?ぢゃ、ベストのモノ作れよって??
まー、ごもっともなご意見ですが・・・ネッ!
あまりそれだとマッコウショーブになって、新聞とか週刊誌記事には
かなわないわけですよ・・・ネッ・・・だから、視点を少しナナメにしてみたわけです。
そんなこと言わないで、一度、目、通して見てケレ!!
######################################
●内閣総理大臣 兼 征夷大将軍:徳川 家康 氏。
1542-1616年。怪説不要と思いますが・・・死因は?胃がん?てんぷら食中毒?毒殺??
***********************************************************************:**********
◎党三役
□内閣官房長官:安倍 清明 氏。
921-1005年。陰陽寮所属。長じて寮に所属したため寮長にはなれずも、実力はNO1。
□総務会長:田中 角栄 氏。
大正7(1918)年-平成5(1993)年。首相2期。郵相x1、蔵相x3、通産省x1.。日中国交正常化。よっしゃ!
「しょーひ税の上げ幅の猶予期間を発表しちゃったあたりはまだまだシュギョーが足りんねー」
□清張会長:松本 清張 氏
明治42(1909)-平成4(1992)年。昭和28(1953)年、<或る「小倉日記」伝>で芥川賞。
「いーですか、皆さん。私は社会派推理小説を書いているのではなく、全編”純文学”なのデス!!」
************************************************************************************
◎財務大臣:高橋 是清 氏:1854-1936(昭和11)年、首相x1、蔵相x6、農商務相x1、初代農林兼商工相
片面だけ印刷した紙幣を大量印刷し銀行窓口に積み、人心を安定させ、
軍事費を一時的に増額し、世界経済最速で世界恐慌から脱出させた腕利き官僚。2・26事件に斃れる。
◎総務大臣:石田 三成 氏:1560-1600年、安土・桃山。
豊臣五奉行。盟友・大谷吉継から「関ヶ原」で「あんた性格悪いから総大将は毛利に任せろ」といわれる。
◎法務大臣:大岡 忠相 氏:1677-1752年。1717年ー江戸町奉行、1736年ー寺社奉行、1748年-1万石拝領
柳生初代当主宗矩、田沼意次とともに江戸期で旗本から大名になった三家の一。江戸町火消し、小石川療養所
及び薬園整備拡大ほか功績多数。「大岡政談」は旧約聖書他国外の判例を日本流に翻案したものが混在。
◎外務大臣:幣原 喜重郎 氏:明治5(1872)-昭和26(1951)年。外務大臣、連続4期4回。首相x1.
国際協調路線をとり特に軍部から軟弱外交といわれる。対米戦争突入を明言した一人。
◎文部科学大臣:関 孝和 氏:1642-1708年。江戸初期の数学者。行列、円周率(小数点以下11桁:正131072
角形を使って算出)、方程式の解に導関数の導入(微積分の利用)、現在に至るまで本邦最高の数学者と。
「最近の学生さんの全国学力テストの点数はいかがなものでありましょーか?あ、これは一大事、クドクド」
◎厚生労働大臣:華岡 青洲 氏(厚生部門大臣)1760-1835年。世界で初の全身麻酔下の手術を成功させる。
西洋医学+蘭学の結集「通仙散」という麻酔薬。1804年のこと。「医学の発展のためには御夫人にも
被検者になっていただきたいですな。もっともうちでは、妻と母が競ってなってくれていますが」
○堺 利彦 氏(労働部門副大臣):明治3(1871)年11月25日) - 昭和(1933)8年、明治39(1906)年、
日本社会党、つづいて、大正11(1922)年、非合法ながら発足しえた共産党初代・代表。
「君たちわぁ~、大正デモクラシーといわれる昨今、それデモクラシ楽になっていないであろー」
◎伊達 政宗 氏(農林部門大臣):1567-1636年。天然痘により右目を失明。コメ品種改良を自ら行う。
味噌の大量生産体制の整備 ズンダ餅・笹カマボコの原型はこの人のアイディア。和歌・能に精通
○山内 容堂 氏(水産部門副大臣):1827-1872(明治5)年、15代土佐藩主(1849-59)幕末4賢侯の一。
幕末の時流に上手く乗ろうとした態度を、「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」と揶揄された。13,14代(在位12日)
藩主が突然死して突然執政が転がり込む。藩政改革断行(西洋軍備採用・海防強化・財政改革etc)
◎経済産業大臣:田沼 意次 氏 1719-1788年、遠州相良藩主、600石から57000石の城持ち老中へ。
10代徳川家治に重用される。重商主義者。贈収賄のうわさが絶えなかったが反田沼派の創作か?
株仲間の結成、専売制導入、鉱山開発など。一方で農村部の疲弊。幕府財政の貨幣収入は増加した。
相良藩では殖産興業、個人の住宅を藁ぶきから瓦屋根へ(防火)、街道・港湾拡張・整備。
◎国土交通大臣:武田 信玄 氏:1521-1573年、棒道ー3本?の直線軍隊専用道路と信玄堤(甲州流
治水術)、笛吹川と釜無川の氾濫の終焉(最近の研究では信玄の治水事業の関与は小であると)。
「ヘナチョコ甲州街道を整地、まずは江戸ー甲府金山間の棒道をお造り申した。 90式50トン戦車?
13333貫/台でござろう?どんどん御通し下さって結構。我が道に通れぬ橋はござらぬ。」
(90式が通れる国道橋梁は全国で2/3程度)
○気象庁長官:平賀 源内 氏 1728-1780年。植物、薬学、地質学者。蘭学者。医師。殖産事業家・
発明家。戯作者(戯作の創始者)、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家。作曲家。日本語以外の語学はダメ。
「エレキテル」「丑の日にウナギを食べましょう」「歯磨き粉・漱石粉のCMソングをプロデュース」
「湿度が低いと「エレキテル」の発光が大きいですから、皆さんは火事に注意してくださいね!」
◎環境大臣:宮沢 賢治 氏 明治29(1896)年-昭和8(1933)年.。詩人、童話作家。肺結核で37歳で死亡。
「最近の閣僚の皆様方は、ご自分で世の中におこっておることを、ご自分の目で、ご自分の足で廻って
お確かめでしょーか??雨にも負けず、風にも負けず、歩いて世間一般何が起こっているか、隅々
ご覧になっていただかないことには、意外な落とし穴が待っているかもしれません。ヒヤリ・原発・・・
◎防衛大臣:今村 均 氏 明治19(1886)-昭和43(1968)年、最終、大将第8方面軍司令官(ニューギニア)
日本占領下の治安維持、地元民との融和政策、略奪を禁止するなど、日本本国からの占領地特産品の
輸出命令に徹底抗命。占領地下住民の融和政策をとった数少ない将軍。最後はラバウル基地を
要塞化、地下に畑も作り自給自足のまま終戦を迎える。
○三軍総幕僚長:安達 二十三(はたぞう) 氏 明治23(1890)-昭和22(1947)。最終、中将、
帝国陸軍第18軍司令官。現地で刑期が終わった戦犯が帰国したのち、若年者がお国のために
命をささげたからには自分も運命を共にすべき」と上官の今村均氏に遺書を残し自決。
※第18軍:20/41/51師団、第12野戦高射砲隊
○同参謀長:宮崎 繁三郎 氏:明治25年(1892年)1月4日 - 昭和40年(1965年)
昭和14(1939)年、ノモンハン事件の連隊長(陸軍大佐)時代の局地戦から、昭和19(1944)年、
インパール作戦シンガリ戦の歩兵団長(少将)、昭和20年のイワラジ川防衛線時の54師団長
(中将)に至るまで、常に最善を尽くす戦術・戦略指揮官として、優秀さ・人格者・理性的軍人として
現代に至るまで賞賛され続けている。
◎復興大臣:後藤 新平 氏1857-昭和4(1929)年。初代満鉄総裁。逓信相x3、内相x6、外相x1。
「この役をやらせていただくのは、関東大震災以来90年ぶりですけどね、よーするに、あの時みたいに、
人に計画を立てさせておいてから、金がないとか、時間がないとか、だから後藤の計画は
できないと、後から、ぐちゃぐちゃ言わんでほしいもんです。」
◎海洋政策・領土問題担当特命担当大臣☆:石橋 湛山 氏、明治17(1884)-昭和48(1973)、蔵相x1.
通産相x3、郵合相x1、首相x1。ジャ-ナリストとして、「反帝国主義を貫く」。日中戦争勃発時期から
長期戦化反対の論陣をはった。戦後、小型日本は前途洋洋を発信。靖国神社廃止、GHQの
太平洋戦争は、高橋是清の世界恐慌の後始末の方法が悪くて戦争の誘因となったというイチャモン
に徹底抗戦するなど、独自の世界観を持って政局を動かそうとしたが、就任当初の無理がたったって
脳梗塞に。即座に辞意を表明。 首相在任期間は65日で、東久邇 稔彦王(ひがしくに なるひこ)
[54日]、羽田 孜(はた つとむ)氏[64日]に次ぐ歴代で3番目の短さである。<宇野内閣は69日)。
日本国憲法下で、国会で一度も演説や答弁をしないまま退任した唯一の首相となった。
☆:以下特命担当大臣の省略記号です。
◎沖縄・北方対策☆:間宮 林蔵 氏 1780-1844年。江戸公儀の隠密??
「こーゆー仕事って、歩いてナンボのもんだべ?拙者の部署、歩けない奴、歩いたら、すぐ
足いてーっていう奴、地図読めない奴、再キョーイクどーして必ヨーなの?
はじめからできるやつよこしてよ

◎経済再生担当☆:青木 昆陽 氏1698-1769年。江戸中期の儒学者、蘭学者。「甘藷先生」
江戸幕府、8代・吉宗将軍は飢饉に強い作物として甘藷(サツマイモ)の栽培を昆陽に命じた。
◎社会保障・税一体改革担当☆:與謝野 晶子 氏、明治11(1878)-昭和17(1942)。元々反戦主義者。
めぐりあわせ悪く、日露戦争で弟君が出征
「君死にたもふ・・・ことなかれ」主義では困ります。そんな弱腰だから、明治期の「臥薪嘗胆」が
百年経っても解決されず、竹島・尖閣問題でウジウジしているんですザマス!!!
◎地方創生担当☆:桓武天皇陛下 737-806(第50代天皇、在位781-806)。市街地に初めて寺社を
建立(平安京・清水寺ー鬼門封じのため)した天皇
「都に力が集まるのは、やはり避けるべきでおじゃるな。おほほほ・・・。それには、京を
あらかじめいくつか造らせておいて、凶事起こらせ参りたる毎に遷都すれば、同じ京に
財も人も集まりすぎず、寂れ過ぎず、中庸を行き給ひてあらまほしきやあらむ。
ohohoho・・・」
***********************************************
よく探せば、国内にもっと適した方がおいでになるでしょう
あるいはまだ生きておられる方も・・・!!
閣僚間でダイジンポストをたらいまわしをしないで
もっとかんがてほしーなー
とにかく、適材適所ですか?
石材関所?ですか??