本邦創成期の製糸工場だけが「切り札」ではなかった上信電鉄2/2、昭59(1984).7.26. | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

上信電鉄1/2では
高崎から上州富岡までご紹介いたしました。
2/2では、旅行の「ミコーカイ部分・・・オーゲサナ奴、フッ・・・」と、訪問時の車輌群の記録です。
写真は前回同様昭59(1984).7.26です。
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<写真ー11>上州七日市


正面の茶色の屋根、モルタル風のグレーの壁とコンクリートの階段が
駅舎。階段の上部の出入り口の上に掲げてある青地白字の長方形の
板状のものが駅名票です。
地元の方以外わかりづらいかも・・・・?

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<写真ー12>上州一の宮駅

全路線長の下仁田側から1/3の地点の駅です。

駅舎の大きさに比べて、駅前通りの広さが気になります。
右横の屋根と柵の構築は団体さん用出入り口だと思うのですが・・・

鉄道優位のころは、ここから、一之宮までの団体バスが多数出ていたのでしょーか?
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<写真ー13>一の宮駅にデハ250系下仁田行きが入線。


1M方式の電車(単独走行可能)=客車種類は「デハ」、新性能車=「3けた」の電車

電車の分類方法は、前回上信電鉄1/2の<写真ー4>をご覧ください」
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訪問時の電車
 □旧形車(ツリカケ駆動車):デハ20(22,23)、デハニ30(31)
   ・・・訪問時すべてすでに予備車
 □新性能車:
   ◇1M車
      デハ200(一次車201-203,昭和39/二次車204-205,昭和44)
           クハ200(
一次車201-202,昭和39/二次車203-204,昭和44)
           デハ250(251,251,昭和56)
      ◇MM'ユニット車
       クモハ100(101-103,昭和34-35,西武より譲渡
                   451系車体+801系台車で新性能化)
           
ク ハ100(101-103,昭和34-35,西武より譲渡)
 □高性能車
   ◇1000系(クモハ1100+モハ1200+クハ1300、昭和51)
                          ☆52年のローレル賞受賞
   ◇6000系(クモハ6001+クモハ6002,昭和56)

 合計25輌と比較的小世帯ながら、3輌のツリカケ車は予備、
 譲渡車は6輌、あとは自前。
 イヤ、大したものではありませんか!!
 ただ昭和51から56にかけて、すでにモータリゼーションが始まっているので
 今後の新造車は3輌編成では過剰なので自ら2連の6000系を作って
 しまったのは、やはりやむをえなかったのでしょーか?
☆電気機関車ELについては<写真ー20>の説明文をご参照ください

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<写真ー14>たまには旅の心にもふれましょー(2)
上野國一之宮、貫前神社

群馬県南西部、鏑川左岸の河岸段丘上に鎮座し、信州街道に面します(自治体は富岡市に属します)。
口伝によりますと、創建は「安閑天皇元年(531年?)」までさかのぼらなければなりません。
社格は上野一之宮;式内社、旧国幣中社。本社は物部氏が祖神を祀ったことに始まり、
古代には朝廷から、中世以降は武家からも崇敬されておりました長い歴史と、どの階級からも
大切に扱われていた実績がありました。
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<写真ー15>終点・下仁田

こじんまりとまとまった感じでしたが、下見板張りの壁と、大きい窓面積のため、駅舎は結構
(スイマセン・・・)立派に見えました。
何より駅の「建物」、ホーム、他どこでもきれいに掃除してあるのがすばらしいと思いました。
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<写真ー16>下仁田駅ホーム

「大黒山東泉寺」というところ(群馬県水上町→現・みなかみ町)の「甲子大祭・きのえねたいさい」の
広告旗がホームに翻っていました。高崎ー水上はJR上越線の各駅停車で約1時間。

電車は、前面窓の向かって左側が高運転台化(上信電鉄は譲渡車100系を除くオリジナル車は
右運転席)して小型化している200系二次車。


ここから、折り返しで高崎に戻りますが、少し気になるところを拾ってみました・・・

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<写真ー17>南蛇井!!

珍名駅で今やすっかり有名になった「南蛇井駅」

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<写真ー18>なんとなく???な南高崎駅


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<写真ー19>なんで張り切って930円もだして切符を買っちゃったのか?


いまだに思い出せないのが悲しいのです・・・
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<写真ー20>高崎ー南高崎間ヤード

架線柱を挟んで
●同型機?と思えるちびっこELがシーメンスの大正13(1924)年作製の35ton機50x4kw
  (デキ1-3のうちの2台)。直輸入ELです!!!
●その手前の薄いレンガ色のEL、ED31-6、大正12年製、40tonEL、芝浦
  こちらは「伊那電気鉄道デキ6」→「鉄道省ED31 6」と渡り歩いて、昭和32(1957)年当鉄道に
  やってきました。
  旧番をそのまま使っていますが、凸型から箱型ELへ、また主要機器も当時の標準品に交換
  するなど、ほぼ別物になってしまいました。

  ELはこの4輌ですべてです。

●さらに手前は全長7.8mの有蓋貨車、テム1(1-20)


以上で旅行の記録らしきものはすべてお示しいたしました。

「上信」と申しますと、<州・下仁田>から
余地峠を越えて佐久鉄道(現:小海線)の<州>羽黒下まで延伸する計画を立て、
社名を上信電気鉄道に改称しました(大正10[1921]年)。
免許を取得までこぎつけたものの、世界恐慌で中止。
とりあえず、中込方面へのバス路線を開設したり、


戦後、昭和30年代は国鉄とタイアップして、上野から、下仁田まで乗り入れ急行「あらふね
(近隣の観光地”荒船山”から命名)」他快速を設定するなど、40年代中盤まで、活躍の場を
県外に広げておりました。


しかし、その後は、地方私鉄の運命とでも申し上げていいと思いますが、
過疎とモータリゼーションが始まり、そんな苦闘の中、県外交通網からの撤退(中込バス路線、
季節急行「あらふね」の廃止etc)をおこない、訪問時は県内交通網だけの企業となっておりました。


しかしながら、この間の車輌保有台数は22-25輌とコンスタントで、最近の車輌台数の維持は
西武鉄道からの譲渡がほとんどでありましたが、2013年、31年ぶりに自社発注のVVVFインバータ車
「7000形」が就役しております。


粘り強く発展を続ける、上信電鉄の事を思い出しましたので書いてみました。


本邦創成期の製糸工場だけが「切り札」ではなかった上信電鉄2/2、昭59(1984).7.26.   完


(デモ、今回富岡が世界遺産になんなかったら、これかいてないしょ?)
<え?あー、まーそーね>
(それ、少し軽薄だよね)
<やっぱり、バレバレ企画か?>
(ふつー、そーっしょ)         ウラカーテンコール  完