松本電鉄を見た勢いだけで長野電鉄にも寄りました:昭和62(1987)年8月15-16日② | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

 ①は長野電鉄の戦前までのお話と、須坂・長野駅の写真でした。
あと、そばに裏切られた話も入る?(イーヤ

◎路線のお話・続・・・戦後から参ります
戦後は、まず、交通障害となっておりました長野駅付近の、約2kmに亘って続く20の踏切を
解消すべく、長野ー善光寺下2.3kmの地下化を昭和58(1983)年11月20日に完成させ(この時
営業キロが01km短縮)、同時に、信濃吉田ー朝陽間のひと駅分(2.0km)の複線区間の
延長もおこないました。
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<図ー1>訪問時の路線略図
 

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以上のような躍進を遂げてきた、「ナガ電」でありますが、沿線は私が訪問したころから
過疎の波がジワリと広がり始めていたのでした。
須坂、信州中野、更埴(→千曲市、代表駅:屋代)は、平成の大合併で、昭和60(1985)年、
訪問の前々年→平成22(2010)年にかけては周囲の自治体との合併もあり、見かけ、
人口の減少は目立ちませんが、この期間市町村合併がなかった山ノ内町(代表駅:
湯田中)の人口は、1.9から1.4万人と約3/4になっており、深刻な事態になりかかって
いるように思えました。

そーいった過疎・高齢化の影響でしょうか、
#平成7(1995年、バス部門を長電バスに分社独立化
ついで
#河東線の一部、信州中野・木島間12.9kmが平成14(2002)年4月に
#同じく河東線改め屋代線、屋代・須坂間24.4kmが平成24(2012)年4月で
営業を取りやめてしまったことは
記憶に新しいところであります。

鉄道営業線は以前の70.5kmから12.9kmと24.4kmを減じて33.2kmとなって、
往時の47.1%の営業キロとなってしまいました

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<図ー2> 訪問時と現在の路線図+路線状況+駅設備+橋梁状況 
 1987 VS 2013
チョット横着した図を作ってしまいました。
訪問時と現在の路線図+路線状況+駅設備+橋梁状況の違いを一枚にまとめました。
少し面倒ですが、難しい内容ではありませんので、御容赦ください。

 

 
◎路線図全体の御説明
 ☆交換設備有と有人駅は私の昭和62年の訪問時の記録です。
 ☆なるべく自分のメモから作りましたが、自信のないところ、不充分と思われるところは
  鉄道ピクトリアル 1984年臨時増刊4月号 「甲信越・東海地方の私鉄」vvol.34 No.4 通巻 No431 
  鉄道図書刊行会を参考にしました。
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□権堂:本社所在駅、■須坂:運転司令集中設備設置駅、交:列車交換可能駅、○:有人駅、
時:時間制駅員配置駅☆:長野ー善光寺下(2.3km):地下線、◇:長野ー朝陽(6.3km):複線
◆色つき駅名(塗りつぶし線):廃止線赤、図向かって右手、木島線/木島ー信州中野
                    廃止線青、図向かって左手、屋代線/屋代ー須坂
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◎駅設備:駅員の配置、交換設備の有無
☆屋代線の変化   
 ◆国鉄からの乗り入れ3連急行は訪問前の昭和57(1982)年に終了していました。
 ◆廃線前の駅員配置状況:委託駅→屋代(しなの鉄道管理)、松代                               
 ・雨宮:昭和58(1983)年:列車交換設備撤去            
      平成 3(1991)年:無人化 
 ・東屋代・川田・綿内の無人化時期は不明
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 ※「雨宮」の閉塞取り扱い中止後:ここは相対式ホームでした。たいていY字分岐の面影を
  のこしたまま、片方のホームを使い、残ったホームはそのままにしておく・・・という
  交換設備撤去のやり方が一般的だと思うのですが・・・
  ここはね~トニカク、トリッキーさに唖然。写真なんかとるひまもなく大魚を逃しました。
 
 まず軌道を先に1本中央に敷いたのでしょーか?それから、両方の相対ホームから平板材を
 車幅限界まで伸ばして1線2面のような体裁を作っていました。
 これで、くし形にホームがなっていたら、嵐山、飯坂温泉クラスのターミナル駅のように
 見えましたよ?でも、どーして、あんな、めんどいことしたのかな?いまでも不明です。
 
 案外、フローリングの下には、「真田のマイゾーキンがごっそり」とつまれて・・・次行きます・・

 ※「小布施」の「ながでんひろば」にかつて保存されていた車輌群が、川田駅構内で雨ざらしに
  なって1年以上になります、この車たちは再起不能か?

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<写真ー7>小布施「ナガデンひろば時代」の車輌群
記事内容を分断しましたが他に入りそうなテキトーな場所がなく・・・スイマセン
 
手前から:モハ1001(旧1002)、デハニ201(に復原、廃車時モハニ131、ED5002 撮影日:昭和62(1987)年8月15日
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   ※屋代線廃止に伴い、「電鉄車輌」の甲種回送搬入が鉄道を通してできなくなりました。
   今後は陸路トレーラー搬入」になるそうです。

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 ☆木島線の変化
  ・木島:平成5(1993)年無人化
  ・信濃安田:平成5(1993)年無人化
  ・柳沢:平成5(1993)年無人化
  ・四ヶ郷:平成8(1996)年無人化

<写真ー8>木島駅

列車本数に見合わぬ大型の駅舎、広い駅前広場。
ここにかつて、長野から直通特急や、さらに、驚くべきことに国鉄の臨時急行 が上野から乗り入れ、
志賀高原スキー場、野沢温泉、渋温泉への最重要中継地点であったとは、にわかには信じられないほど
静まり返った木島駅のたたずまい。

この時は、まだ有人駅で、「硬券の入場券」も売っており買ってきましたが、いつの間にかどこかにいって
しまいました。

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<写真ー9>木島駅出発待ちの新OS car 10系クハ61
  
木島駅配線は、1番線がホームから離れた留置線で、当然ホームを持たず事実上空番。
駅舎に一番近いところが写真の2番ホームだったと思います。そして、もう少し画面左手に
進みますと、ホームに欠き取りがしてあってーーー階段状にホームがなっているとでも
申し上げればよいでしょうか?そこが3番ホームでした、
それで・・・1面2線+1線という表現で許されますか??

先の、長野電鉄の当駅までの特急や、国鉄からの乗り入れ列車があった、観光客が鉄道を
集中的に利用していた時期のお話と、10系についてはまた後ほど・・・

木島駅の2枚の写真の撮影日は:昭和62(1987)年8月15日。

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 ☆長野線の変化
  ・村山:平成21(2009)年:利用客減少にて無人化          
  ・日野:昭和19年戦時節電で休止(当時は有人)。
       昭和62(1987)年10月8日、無人駅で再開。
Nagano-nagano-nagano-
   ◇村山橋について:大正15(1926)年、千曲川にかけられた鉄道道路併用橋でありました。
             車道2車線といわれながらも大型車同士のすれ違いは無理で、列車も走る、歩道はない
     という、812mの柳原ー村山間の何かとキュークツな橋でありました
     そこで、平成16(2004)年に2車線の新道路橋が(旧橋も使用)、平成20年には追加の
     2車線分も先の橋に横付け拡幅、これで道路橋は全面「新品の橋」に切り替えられました。
     
    そして、併用橋は鉄道の専用となりましたが、何せ老朽化が進んでおりました。引き続き
    鉄道橋も新品となり、平成21(2009)年11月から晴れて鉄道、車道分離となりました。
    鉄道の営業距離が若干伸びて837.8mとなりました。
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☆本線の変化
 ・北須坂:昭和19年戦時節電で休止(当時は有人)。
  ・昭和35(1960)年無人駅で再開
  ・昭和39(1964)年駅員配置駅となる。
  ・平成6(1994)年、交換設備使用開始
  ・平成19(2007)年、再度無人駅となる。
  ・平成23(2011)年、B特急通過駅となる。
 ・都住;昭和48(1973)年無人駅となる。
 ・桜沢:現在無人駅、無人化の時期不詳
 ・延徳;
     ・昭和45(1970)年無人駅となる。
   ・平成6(1994)年、交換設備使用開始
 ※信州中野:JR、私鉄合わせて「信濃」ではなく「信州」を冠するのは当駅のみである。
   その昔、国鉄が嫌ったとありますが主催は不明です。
         戦前の「日本=神州」に通じるからでしょう? 

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<写真ー10、信州中野駅>

本駅や木島駅など、駅の規模に比べ駅前広場の規模にちょっとびっくり。
かつて、バス輸送が観光地の輸送力のNo1だったころの、シーズンピークの頻繁なバスの行き来が
否が応でも想像させられます。
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 <写真ー11、中野駅駅前風景>

ちょっと前までの、典型的な地方の観光地の駅前風景です。
「歓迎ゲート」+「宅配便コーナー」+「土産屋さん」
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<写真ー12>中野線1番線ホームで発車待ちの木島行き 
 
 
  中野駅1番線は木島行き専用ホームでした。
今は線路のみ敷かれてありますが、主人なきトラックとなっております。
新OS・クハ61。
中野駅の三葉、撮影日::昭和62(1987)年8月15日。
NAKANO=NAKANO=NAかNO=

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☆山ノ内線の変化
 ・中野松川:有人駅だった記録がない?
  ・平成23(2011)年、B特急通過駅となる
 ・信濃竹原:無人化された時期不詳
  ・平成23(2011)年、B特急通過駅となる
 ・夜間瀬:昭和47(1972)年無人駅となる。
  ・平成23(2011)年、B特急通過駅となる
  ・上条:昭和45(1970)年無人駅となる。
  ・平成23(2011)年、B特急通過駅となる
※夜間瀬ー上条ー湯田中の平均勾配33‰、特に上条ー湯田中の最急勾配は40‰で、国鉄の
 湯田中乗り入れ車、昭和37(1962)年3月から、始めDMH17Cx2=180PSx2x3輌編成、
 後38年10月からは169系3連になりました。
 ディーゼル時代は最後の40‰あたりは時速20kmがやっとでありました。
停車駅は当時のA特急に同じですが、電鉄内の正式名称は「連絡急行」と呼ばれていました。
 停車駅:(屋代)-松代ー須坂ー小布施ー信州中野ー(湯田中)
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※湯田中駅の1番ホーム側には先代の湯田中駅舎があって、最近まで団体専用出入り口
  などに使われていましたが、近頃は「日帰り入浴施設・楓の館」として利用されています。
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※長野オリンピックで恩恵を受けた?駅は、平成6年に列車交換設備を追加された
  北須坂と延徳でしょうか?上の駅設備の項で赤文字ゴシック「列車交換設備」が
  使用可能となったと書いてみました。
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◆<蛇足ですが・・・>山ノ内町(湯田中近傍)のTAXIは町の条例で全車4輪駆動車です。

<写真ー13>山ノ内線終点・湯田中駅
 
 ちょっとお疲れ気味の駅舎さん?でも、はじめは、国鉄3連が入線するので、構内配線は
スイッチバックを採用するほど手狭でした。
そんな狭隘で雪深い土地に建てられた建物ですから、皆さんであたたかく見守りましょー。
 

 松本電鉄を見た勢いだけで長野電鉄にも寄りました:昭和62(1987)年8月15-16日②  了