松本電鉄を見て参りました、昭和62(1987)年8月15日<後半> | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

<前半>は会社設立のお話、電鉄終点、島々や新島々のターミナル形成のお話などで容量悪くだいぶ紙面を
割いてしまいました。
後半戦は、電鉄の運転中枢の「新村駅」にスポットをあててまとめていきたいと思います。
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<写真ー7>新村駅です。

 当電鉄は、大正11(1923)年の全通前に、大正10(1922)年、松本ー新村間での営業期間がありました。当時はまだ
筑摩鉄道の商号でした。
一時期終点であったことと、ここに、本社、車庫(車輌基地[車輌所])が置かれたのは無関係ではないと思います。
(新島々には乗務区が置かれています)。
また、当駅には、「ハニフ1」こと、明治37(1904)年製甲武鉄道引き継ぎデ963形968元・院電が保存されて
いますのは周知のことと存じます。 
まー、駅舎も、この時点で築65年ですから・・・何でもでてきそーです・・・
なお、平成24(2012)年3月24日から新駅舎での営業となったそうです。

撮影日は前半同様すべて昭和62(1987)年8月15日であります。
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<写真ー8>新村駅舎乗客用出入口のオデコにあるマークは全通時に改称される筑摩電気鉄道の社紋でありました

  
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<写真ー9>新村駅全景です
  
さすがに車庫所在駅のヤードだけあって、広さは充分。
向かって右に、前年用途廃止になった10系電車が留置されておりました。
手前が松本方。
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<写真ー10><写真ー9>に映っている10系と同じものです。
 
訪問の前年の12月まで使用されておりました10系電車群です。
※モハ10形:モハ101-1011(奇数のみ)とクハ102 
昭和33-38(1958-1963)年にかけて、日射東京支店で木造車輌の鋼体化を行い生まれた形式です。
比較的長期にわたって生産されたためそれぞれ多少の違いがあり、電動機出力も73X4-100X4 KWまでありました。
クハは電動機出力が小さいものがあること、途中最大こう配に18‰があることから、生産台数を考えて作っていたら、
1輌だけになったそうです。架線電圧は750Vでした。

仲間には岳南鉄道1100形(昭和34-37[1959-62]鋼体化)等があり、日車標準型と呼ばれておりました。
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<写真ー11>車庫横の5000系

 ※東急電鉄5000系→松本電鉄5000系

軽量張殻構造、カルダンドライブ他数々の新機軸を持った新性能電車の第一陣として、昭和29(1954)に就役、
好評をもって迎えられましたが、登場後40年がたち、その後の東急での著しいステンレス車の発達に押され、
地方私鉄もレベルアップを望んだこともあり、第二の人生を歩むことになりました。
それには、高張力鋼を用いて1輌当たりの重量が28ton程と、線路規格があまり高くない中小の私鉄でも充分対応が
可能であるという原設計のレベルの高さによるところが大きいと思われます。
そして当鉄道においては、新性能化の他に、1500V昇圧という二役を引き受けてくれました。
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<写真ー12>松本駅です
 
わかりづらいですが、白い建物が、駅です。
現在の者と比べると随分と小ぶりです。
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 <写真ー13>松本駅前です
  
みる方向によっては、大都会に見えますね(松本皆さんすいません)。
城下町ですから、基本的には道幅などは、少しキュークツですが、盆地の中の街としては、平な面積が広い町と
思います。飛行場があるくらいですから
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<写真ー15>松本城(烏城)です


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城に限らず建築物の外壁がすべて黒いと、遠目にも威圧感があります。
攻めようにも隙がなさそうに見えてくる、無言の効果作りに「黒」は砦づくりに大事なのかもしれません。
近代・松本城は安土・桃山から江戸時代初期に拡大改築されたといわれております。
天守は国宝。烏城とも呼ばれていますが、過去の文献でそのような別名が出てきたことはないそうです。
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<写真ー16>松本城・近接です
 
私のヘタクソな写真をご覧になるより、実物を一度みにおいでになることを
お勧めいたします。
周囲の緑との色合いも素晴らしいです。
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<写真ー17>開智学校です
 
 藩校の流れをくむ出自ですが、建物自体は、擬洋風建築で明治6(1873)年の建立です。
この建物、将来的には中学課程まで教えられるようにと、余裕を持って作られたそうですが、
出だしは小学校でした。
何でも松本の威信をかけて、町の年間予算の3倍を投じて建てたのだとか・・・?


これで私の松本の旅はおしまいです。
そのうち、また気がむけば長野電鉄、上田交通の話も書きたいと思います。

2かいにわたってお付き合い頂きありがとうございました。

  松本電鉄    全2回  了