木曽川駅の怪:明治19年に開業したはずの壁材に「21年開業」と・・・ | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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  せん。

ある鉄フリークのN先輩から教えていただいた話です。


「東海道本線・木曽川駅」は明治19(1886)年に開業したのだが、改修工事のおり、壁材に「21年開業」と記されていたと・・・どうなっているのか??


 大阪方*-<岐阜>-]木曽川橋梁[ー<木曽川>-<尾張一ノ宮>ー*東京方


付近の路線図(主要駅のみ)を書きますと上のようになります。130年ほどこれで通用しますね。


この付近で最大の工事の山場は、当時の技術では「世紀の難工事」といわれた。木曽川橋梁の架橋工事でありましょう。

この鉄橋工事ひとつのために、東海道線敷設工事の予定がかなり遅れたという話を聞いたことがありました。


●明治19(1886)年、東海道本線が木曽川東岸に到達。木曽川駅を作ります。

●余裕を見て、木曽川橋梁工事は明治18(1885)年に開始されていますが、予定よりさらに1年

  かかって明治20年に完成しました。

  ☆木曽川橋梁:当初単線1800フィートで開通(約550m,1フィート=30.54cmで計算)


お話は明治20年、めでたく木曽川に橋がかかったところで「実話の部」は終了です。


以下は私のすきなヨタ話です。


明治20年、この時点で、木曽川駅は1年間続いた「暫定・ターミナル駅」から「途中駅」に変わりました。

 当時、ターミナル駅はツナギ的であってもそこそこ立派に作ったのではないでしょうか?例えば、待合室も1等専用と2+3等待合室をしっかり分けてレイアウトしたり・・・        

 そして今度は、途中駅となり(手続き上は明治20年4月25日から)・・・前後は尾張一の宮と岐阜ですから、どう考えても優等列車が止まるとは思えません。

そこで、駅員さんを減らしたり、1、2+3等、二つの待合室を一つに減築してしまったとか、手を加えたかもしれません。

 その縮小工事が翌年(明治21年)終わって、「本来の役目」が始まった時点からの駅を「初代駅舎の始まり、始まり~♪」と制定、建材などに刻印した・・・

以上ヘリクツとモーソーの世界でした