初めての東海道中膝栗毛・続・・・9/13の続編です | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

※二葉の写真は前回同様、昭和51(1976)年7月14日です

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<写真1>修善寺からの電車の終点、三島にほど近い「三島広小路駅」です。ここで下車するときに、座席にカメラを置いたまま降りようとしました。

●むか~し、「伊豆箱根鉄道」が「駿豆鉄道」と呼ばれていた時代、当駅と沼津の間に、同社は路面電車も走らせていました。

開業は明治39年までさかのぼります。まだ丹那トンネルが開通していなかった頃ですので、三島の中心部から、西となりの大きな町沼津まで行くには、やはり鉄道かそれに準ずる交通手段が必要であったことを窺わせます。

旧・三島駅が、旧・東海道線のルートの関係で、三島の中心部から離れていたことにも原因があったようです。

●この軌道線ですが、昭和36(1961)年6月28日の集中豪雨で、木瀬川橋梁が流失してしまい、以後「国立病院前~沼津間」が不通になってしまいました(下図参照ください)。

そして昭和38(1963)年2月4日、不通区間は復旧されることなく廃止に追い込まれます。

●きっと、三島駅が丹那トンネル開通後、市の中心部に移ってきて、大方の人が、三島からの旅行に国鉄を使うことが定着してしまったのでしょう。

ですから、不通部分を復旧しても、頻繁運転だけでは、鈍足の軌道車輌には乗客はもどってこないと始めから勝負をあきらめていたような印象を受けます。

●私がここで降りたのは、その軌道線の遺構でもないだろうか?と思っての行動でした。残念ながら何も見つけられませんでしたが、駅自体は、ナニヤラ、片面単式棒線構造でカーブ状のホームと窮屈そうな格好、それでいて駅員さんはきびきびとしていらして、乗降客も多く非常に活気あふれる頼もしい駅でありました。


◇途中「翁庵」(だったと思いますが・・・)でざるそばをいただき、それがですねー、今調べてもお店の名前が載っていなくて・・・当時江戸時代創業のお店ということでしたが・・・私の記憶違いか、残念ながら過去帖入りしてしまったか・・・

◇当時ざるそばと申しますと、北海道価格で250円前後でした。それが、新宿に出て参りますと、某・新宿小田急デ●ートというところの蕎麦屋さんのざるそばは¥300でした。さすがトーキョーは物が高い!とツーカン致しました。

そして、三島・翁庵さんのざるそばは¥210とこれまたビックリ・・・


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<写真2>国鉄三島駅:あの三島大社を模した美しいスロープの屋根を撮ろうとしたのですが・・・

シロートには無理でしたね・・・

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<図>丹那トンネル完成前後の国鉄、駿豆鉄道(→伊豆箱根鉄道・駿豆線)、同鉄道・軌道線の変化