昭和20年の本日(7/14)、北海道は空襲警報・・・ | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

昭和20年7月14日から15日にかけて、北海道にも空襲がありました。

主に、港湾設備が大きな町、そして臨海工業都市、軍都・軍用施設所在地が攻撃を受けました。

●港湾:小樽、苫小牧、網走(死者14) 、留萌、釧路(死者192,負傷273)、根室(死者400、負傷192)

●津軽要塞(津軽要塞砲兵連隊、独立高射砲第31大隊)=函館要塞(函館重砲兵大隊)+青函連絡船+港湾:函館

●陸軍飛行場(市の中心部近くに昭和12年開港、騒音対策とジェット化が不可能なため昭和56年郊外移転):帯広

●港湾+鉄鋼その他の工場群、室蘭防衛隊(7/9の「軍事教練」も見てね!):室蘭(死者439、負傷23)

●軍都(第7師団本部):旭川(死者1)


□犠牲者の数値がないのは、正式発表がなかっただけ、とお考えください。

□根室、釧路の死傷者の数が結構大きいのです。いまでも、付近の海岸線には風化した小さいトーチカが点在しています。確かに戦闘序列には「根室防衛隊(1個独立歩兵大隊+野戦病院)」とありますが、「フル装備」で1000人程度の歩兵だけの(あって小口径の対戦車砲程度?)、しかも、対空砲などなかったでしょうから・・・

釧路の犠牲者が多い理由はわかりませんでした。発電所、工場、炭鉱は戦前から整備されていましたが


☆もっとびっくりしたのが、十勝地方の、「本別町」がなぜ攻撃されたか?

  これは、全く私の「ムチ」で、陸軍の「外局」の一つ「軍馬補充部・十勝支部」がありました。

  支部長は「大佐」なので、かなり大きな部署のようです。現在の住所では、西仙美里(にしセンビリ)にあ 

  たる場所にありました(ふるさと銀河線沿いですね)。

 

 連合軍の、こんな小さな町に(本別町の皆さんすいません)ある施設も見逃さない情報収集力と、日本

  それを比べても差が大きすぎましたね。

 

  この、十勝支部には、二次大戦で小笠原兵団隷下の戦車26連隊長・西竹一中佐(1932年、ロサンゼル  

  ス五輪、障害馬術金メダリスト、男爵、戦死後大佐昇進)も1年半程勤務していたことがあるそうです。



 金メダルのめでたい話も戦争の話題に引っ張られてどーもいけませんね。

  連休中につまらないコトになってすいません・・・