第一次世界大戦当時、ドイツは、ベルリン付近からパリを目標に、砲弾を撃てるようにと、パリ砲なる「超弩級の列車砲」を開発しました。
重量は256トン、砲身長約30m、口径21cm、有効射程120km、目標に対する命中率は50%強
パリッ子達に砲弾はベルリンからとんでくるのだということが伝わり始めると、いくら命中率が低くても、初弾から6月の間で380-390?発(諸説あるようです)しか撃ちこまれなかったとしても、あんな遠距離から「大砲の弾が飛んでくるなんて」と、郊外への疎開者が続出したそうです。
いつしかPari Geschutz(パリ砲)と呼ばれ恐れられました。
※120km圏内:東京から西へ三島が121km、新宿から北西に山梨市が122km、上野から北東へは東北線・宝積寺が122km、常磐線・水戸が121km
第一次大戦当時の連合国諸国は、「そんなタイホー作ったらあかんやないかー」と注意したところ、第二次大戦の頃、V1パルスジェット(こちらはロケット弾ではありません。亜音速で飛ぶブッタイで英国の戦闘機でも迎撃が可能でした)やV2(こちらはロケット兵器で、一旦発射されると、当時のいかなる兵器をもってしても迎撃は不可能でしたので、連合国はV2の基地を攻撃するようになりました)を開発に駆り立ててしまうといった皮肉な結果になってしまいます。
しかし、1944(昭和19)年も暮れになると、ナチス・ドイツも追い込まれV2の製造・発射どころではなくなってきていました。
トコロガ、ちゃっかり、今度も非常用に長距離列車砲を作っていたのです。
第一次大戦当時から比べて、こーくーきは格段の進歩を遂げたため、2次大戦になると、列車砲砲弾は、空爆より威力のないものになってしまいました。
それでも、制空権をほとんど失いかけていたナチスにとって、長距離列車砲は魅力ある存在でした。
欠点は、先ほど申した通り、第一次大戦時より、「脅し」が効かなくなったことと、運用に大きく人員を割かねばならないことでした。
第二次大戦当時の「パリ砲」の戦闘序列は、長は砲兵少将、工兵+砲兵の混成2個大隊(約2000人)が必要で、車台は、複線レールの上下線とも使う4線用台車の上に載っていたようです。
2代目パリ砲は、ナチスが、首都の防衛に専念しようとした際、1台は自ら破壊しましたが、もう片方はアメリカが自国にもってかえったといわれていますが、その後、姿を見た者もいないようです。
戦争は優秀な兵器を作ったり、画期的な発明が出できたりしますが、やはり、つまるところ犠牲者の上に立った所での、新秩序つくりということになりますので、できればないほうがいいにきまっていますよ。