マヌエル・デ・ファリャ さん 1876(明9)-1946(昭21) | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
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 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

スペイン生まれの舞台(主にフラメンコ)作曲家兼ピアニストさんで、10代半ばからマドリードでピアノを学ぶという、著名な音楽家としては本格的スタートがかなり遅い方でした。


ペドレルさんという日本ではあまり売れていませんが、スペインの近代音楽の開祖ともいうべき大御所に師事しますが、


自国では認められず、1907年(31才)フランスに渡ります。

そこではデュカスというこれまた大物先生が面倒を見てくれます。

今度は、人生がうまく回り始めて、デュカス先生は同郷のイサーク・アルベニスさん(6/16登場)を紹介、アルベニスさんはラヴェルさんを紹介・・・とドンドン先生・先輩が増えていくのでした。


1914年、一次大戦勃発のため帰国しますが、もう、確固たる地位は自国でもゆるぎないものとなっていました。


しかし、まー、世の中、やっかみ半分とゆーのか、面白半分と申し上げるべきなのか、いつでも、口のわるいやつらがいて、


たしか、舞台づくりの大道具さんだったかと思いますが、

「ファリャ先生!フラメンコの舞台監督なさるんでしたら、オーケストラやピアノ曲だけじゃなくて、ギター曲も作ってくださいな!!」


こんなふーにいわれたファリャさん、そこはすでに大物になっておいででしたから、

あわてず騒がず、ご自分の舞台の台本の裏表紙か何かに10分?だとか20分とも?いろいろいわれているよーですが・・・


さらさらさら・・と一曲ギター用の楽曲をお書きになりました。


これが、演奏時間2分30-50秒の三角帽子[1917(大正6)年]の中の「粉屋の踊り」で、後、バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)のため作られたとされますが、こんなヨタ?話も伝わっています。


でも、こんなに音楽を遅く始めたのに、大変な才能の持ち主の人だったのですね。


最後は、欧州事情が肌に合わず、アルゼンチンに亡命、そこで最後を迎えます。

戦争に翻弄されたような人でした。


「粉屋の踊り」はファリャさん唯一のギター曲となりました。

情熱的ないかにも・・・という曲です。


お聞きになっておられない方は、お勧めですヨ。M女さんはだめね・・・