スペイン生まれの舞台(主にフラメンコ)作曲家兼ピアニストさんで、10代半ばからマドリードでピアノを学ぶという、著名な音楽家としては本格的スタートがかなり遅い方でした。
ペドレルさんという日本ではあまり売れていませんが、スペインの近代音楽の開祖ともいうべき大御所に師事しますが、
自国では認められず、1907年(31才)フランスに渡ります。
そこではデュカスというこれまた大物先生が面倒を見てくれます。
今度は、人生がうまく回り始めて、デュカス先生は同郷のイサーク・アルベニスさん(6/16登場)を紹介、アルベニスさんはラヴェルさんを紹介・・・とドンドン先生・先輩が増えていくのでした。
1914年、一次大戦勃発のため帰国しますが、もう、確固たる地位は自国でもゆるぎないものとなっていました。
しかし、まー、世の中、やっかみ半分とゆーのか、面白半分と申し上げるべきなのか、いつでも、口のわるいやつらがいて、
たしか、舞台づくりの大道具さんだったかと思いますが、
「ファリャ先生!フラメンコの舞台監督なさるんでしたら、オーケストラやピアノ曲だけじゃなくて、ギター曲も作ってくださいな!!」
こんなふーにいわれたファリャさん、そこはすでに大物になっておいででしたから、
あわてず騒がず、ご自分の舞台の台本の裏表紙か何かに10分?だとか20分とも?いろいろいわれているよーですが・・・
さらさらさら・・と一曲ギター用の楽曲をお書きになりました。
これが、演奏時間2分30-50秒の三角帽子[1917(大正6)年]の中の「粉屋の踊り」で、後、バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)のため作られたとされますが、こんなヨタ?話も伝わっています。
でも、こんなに音楽を遅く始めたのに、大変な才能の持ち主の人だったのですね。
最後は、欧州事情が肌に合わず、アルゼンチンに亡命、そこで最後を迎えます。
戦争に翻弄されたような人でした。
「粉屋の踊り」はファリャさん唯一のギター曲となりました。
情熱的ないかにも・・・という曲です。
お聞きになっておられない方は、お勧めですヨ。M女さんはだめね・・・