奥の細道・大石田 | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

五月もモー終わってしまいますねー。

ところで「五月雨」ってどーして「さみだれ」って読むんでしょ?


屁理屈臭いんですが、さ+みだれ→さつき+みず+たれる→五月+水+垂れる→旧暦五月の雨=梅雨

って・・・ね!おもいつきませんでしょ!!


ところで、皆さんよくご存知、多分中等教育でも、簡単な解説付きで出てきていると思います。


「五月雨を集めて早し最上川」


これには「集めて涼し・すずし」という原案があったそうです。


招いてくださった、地元の俳人の高野一栄さんですとか、地元住民に対しての一宿一飯に対するお礼として、土地または土地の万物をめでるのが当時の礼儀であったとか・・・


ところが、いつの間にやら、バショーさんのプロコンジョー(アリ?本職は忍者ではないの?)が景色より、地元への感謝の気持ちより、いつの間にか大きくなって、カンドー巨編がここにたんじょーしたようです。


ところで、「大石田」は奥羽線の小ぶりな基幹駅でありました。

ここから、東へ2.6km進むと「尾花沢」という町があり、芭蕉老師はそこにもおたちよりです。


町の格としては、尾花沢のほうが大石田より上でしたが、鉄道には嫌われ、両方の町の間、先ほどの2.6kmに「尾花沢鉄道→<第二次大戦の戦時統合により山形交通の一部となります>→山形交通・尾花沢線」がしかれました。


当時、

*コンナ人口非密集地帯でも(この地区の皆様ごめんなさい!!)鉄道が新規に開業できるんだー、ということや

*もっとキョーガクすべき点は「2.6km」という営業キロの長さで、「旅客営業」が成り立っていたということであります。


あーあ、ついにテツドー・ネタやっちまったか・・・