褶曲地に立つ | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

☆第一段階

●昭和41(1966)年4月22日 - 敦賀発電所建設工事着工。

→昭和45(1970)年3月14日 - 敦賀発電所1号機営業運転開始。

◇着工以前から、地元より安全性について疑問視する発言あり。

→当時の地質学の研究成果では、フォッサマグナの北辺(津軽海峡付近)が地震多発地帯になるであろうとの結論であったので、当時の国内電力事情を考えると、原発設置についてはやむを得なかったといえるかもしれない。

◆しかし、その後も地元を納得させるだけの研究は日々なされていたのだろうか?

 □フォッサマグナの西端<糸魚川ー静岡線>~富山湾の溺れ谷~若狭湾のリアス海岸をみると、古くから地殻変動が繰り返し起こっている地域と思える。

そーいったところに、当時の学説がある程度安全だといっても、わざわざ原発を作ってしまっちゃったのはいかがなものかと・・・

 □さらに決定的なのは、我が国唯一の「内湾砂嘴・天橋立の存在」。内湾砂嘴は、土砂を一度に運んできて成立した、と考えるより、海底の地殻隆起変動がまず起こり、海水の停滞や土砂の堆積の速度が速まってできたとするのが適切で、天橋立も6000-2000年前から地殻変動を中心とした動きによって成立したとされている。


☆第二段階

●最近のフォッサマグナの研究成果では、地溝部の中心部でも地震活動が活発なのでは?という意見が多数を占めるようになってきた。

特に平成16(2004)年の中越地震(山古志村が壊滅した地震)、平成19(2007)年の能登半島地震(輪島市に大きな被害が出た地震)がおこるに及んで、それはほぼ立証されたといっていいと考えられるようになった。

その仮説をもとに、過去を振り返ると、

 ■大正14(1925)年の北但馬地震と昭和2(1927)年の北丹後地震

 ■昭和19(1944)年の東南海地震(三重~濃尾平野)と昭和20年の三河地震

 ■昭和21年の南海沖地震(和歌山ー四国沖)と昭和23年の福井地震

 ■昭和36(1961)年北見の地震と昭和38年の若狭湾地震は

①セットで起こったのではないか?

②地震70年周期説というのがあるので、それを信用すれば、敦賀のほかの施設ものんびりしてはいられないはず。


☆第三段階:もし上のようなことを「ハズレ」でもいいから考えてくれるというのであれば・・・


●昭和56(1981)年4月1日 - 敦賀発電所1号機給水加熱器問題発生により運転停止。

はともかくとして・・・

◎1982年1月22日 - 敦賀発電所1号機営業運転再開。

◎1982年4月20日 - 敦賀発電所2号機建設工事着工。

<以下もんじゅ関係>
◎昭和53(1978)年 (昭和53年):環境審査開始から現在のトラブルまで

・・・は、設備投資がなされないはずであるから、あり得なかった。

ちなみに

ふる~い地震として

■1586年天正地震 で津波が発生

■1662年6月16日 - 寛文近江・若狭地震 、三方五湖で隆起。・・・が有名なようです。


こういったことは、トラブルが起こってマスメディアが、今だから言えるぢゃないか、とか、後だしじゃんけんだけど対策をかんがえるべさ(北海道弁)とか、よくやっていますが、話はその前から決まっていたと思いますよ。