☆奥の細道からの抜粋です。
<前略>
海北にかまえて、浪打入るところを汐ごしと云。
江の縦横一里ばかり、俤(おもかげ)松嶋にかよひて又異なり。
松嶋ハ笑ふが如く、象潟ハうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂を
なやますに似たり。
*象潟や雨に西施(せいし)がねぶの花
(この象潟に来て雨に煙る風景を眺めやると、ねむの花の雨に打たれたような、哀れなやさしさがあって、あの美人の西施が物思わしげに目を閉じたさまとも見えることだ)
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芭蕉が象潟に到着した日はちょうど地元・熊野神社の祭礼日で、参詣者でごった返していたようです。
その熊野神社の少し先に赤い欄干の「欄干橋」が架かっています。
芭蕉の時代(元禄2[1689]年)には象潟橋と呼ばれていました。
この橋を渡ったところから象潟めぐりの舟が出ていましたが、現在橋下には象潟川という川が流れていて、上流では、すぐ先で水路が二股に分かれて、その先は陸で宅地になっています。
これは、文化元(1804)年の大地震(□)で大地が隆起、芭蕉が舟を寄せた蚶満寺や能因島などの島々は、このときすべて陸続きの小高い丘になってしまいました。
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□文化元年(1804)6月4日、マグニチュード7.1(推定)の象潟地震が発生しました。
被害は「象潟」を中心として南北60kmの日本海沿いの地域に及び、多くの家が倒壊し、366
人の死者が出ました
象潟は南北25kmにわたって200m程度隆起、また「小滝地区」は液状化現象によって地盤沈下が起こっています。集落によっては壊滅的被害を受け、丸ごと消えてしまったところもあるようです。
たかだか200年の間に海岸線の風景が60kmかわってしまいました。日本列島3000kmですので、3000÷60X200=10000。1万年もすれば、地図上の日本列島は全く影形が変わっているのでしょーか?