「万川集海<まんせん/ばんせんしゅうかい>または萬川集海」という1676年に藤林家とゆー家系の・・・
え?諸葛孔明の地雷の話?
これが、前振りなんですって!!
・・・で藤林左武次保武が書いた「22巻、別巻1からなる忍術兵法書です。
1676年と申しますと、徳川幕府は4代家綱さんの御時世(1651-1680年)で、江戸開府以後最後の内乱あるいはクーデターといわれた「由井正雪の乱(慶安の変)、1651年」からはや四半世紀。
情報戦においても、忍者の表舞台の活躍の場はすでになく、1651年ころ第一線に立っていたであろう、忍たちもすでに鬼籍に入り・・・
ほんとに「万川集海」はワケわかった人が書いたの?
まあ、この際細かいことは抜きにして、その「万・・・」では、地雷を「埋み火/埋火・うずめび」と称して、道の下にトンネルを掘り、その道上に埋火を埋め、爆発と共に道を陥没させ、大名の暗殺に用いられたとしています。
驚くべき破壊力・殺傷力で、騎兵、戦車にも効果がありそうですね・・・・
埋火の仕組みは、木製の箱に、導火線となる縄を、箱の内側のふたの裏側に付け、人が踏んだ重みで直接火薬に発火させるというもので、例え目標が踏まなくとも時限式で起爆し、確実に対象を抹殺しえたとあります。
縄の長さで起爆時間の調節も可能であり、「地雷+時限爆弾」といったほうが正確な表現でしょうか?
弱点は、今までお読みいただいてお気づきの通り、雨天、湿地帯での使用は無理だったようです。
ところで、「地雷」という語自体は、明代の中国兵書「武備志(1621年)・・・全240巻!!!だそーです!!」に記載された火器の項の一つに「地雷火」の説明があります。
この時代の日本の忍者が用いた地雷は「埋火」という名称であり、「武器」としても日本よりやや早め、火器名の「地雷」となると、日本より大分先になりそうです。
さて、ここでやっと、諸葛孔明さんの登場であります。
「横山光輝氏の三国志」によれば、細かいことは忘れましたが、孔明軍は少数で大軍に勝たねばなりませんでした。そこで、狭隘な山道に差し掛かる場所を選びまちぶせ、道路を掘って、無数の竹筒に火薬をつめ、各々の筒は油をしみこませた麻ひもで連結させて、数珠状にして道路に埋めなおします。
さて、大軍がその個所を通ります。集団が大きくとも、道が狭ければ、1-2列の縦隊行軍もやむを得ないでしょう。孔明の狙いはここにもありました。
相手軍がほぼ仕掛けの中に入った時、数か所の導火線に着火、ほどなく、地面下から次々と火柱が上がります。動揺と混乱に収拾がつかなくなっている相手の軍勢に、孔明の部隊が襲いかかります。こちらは少数であっても、相手も武器が手についていないような、1-2列の小部隊と変わらぬ状況。
それぞれとりかこまれ、各個撃破されて、孔明軍は数倍の大軍に勝利しました。
これ、おそらく、横山氏のフィクションでありましょう。でも花火・爆竹のお国柄ですから、ひょっとして・・・?と考えると、なかなかおもしろさが尽きないところかと思います。
歴史は、わかって面白く、わからなくて面白いジャンルだと思います。