おはようございます( ¯꒳​¯ )ᐝ


今日の一枚は、昨日に引き続き、沖縄。

西表島(いりおもてじま)から由布島(ゆふじま)へ渡る交通手段である、

水牛車に乗った時のすれ違った対向車を撮影した一枚です。

沖縄時間とよばれる、ゆったりとした時間が日常を忘れさせてくれます。

これを体験すると副作用として、帰りたくなくなります(笑)


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さて、今日の道の駅です。


石川県の道の駅 No.9「輪島」2002年登録




石川県輪島市河井町20部1-131


この道の駅は、かつて「のと鉄道 輪島駅」を道の駅として活用しています。

(写真の駅票、踏切警報機等は移設展示品)

ここが終点だったので、この先の駅名が「シベリア」になっている点に注目。


鉄道駅だった佇まいを残しています。




前身の七尾鉄道を鉄道省が引き継ぎ、省線(当時)七尾線として昭和10年(1935年)に

輪島駅まで延伸しました。


国鉄解体後は西日本旅客鉄道(JR西日本)が引き継ぎますが、平成3年(1991年)に

JR高岡駅〜和倉温泉駅間を電化する条件として、和倉温泉駅〜輪島駅間を第三セクター「のと鉄道」に経営移管しました。


一時期は若干の値上げはしましたが、運行本数を増加するなどして、乗客数、収益とも増加させ、三セクの成功例とも

評価されましたが、能登半島の道路網が次第に整備され、地域の過疎化による沿線人口の減少から次第に乗車人数が減り続けました。


経営コンサルタントの助言を受け、平成13年(2001年)に穴水駅〜輪島駅間を、平成17年(2005年)に能登線の

穴水駅〜蛸島駅間を廃止し、全長100kmを超える営業距離だったものが3分の1ほどになりました。


現在ではバス路線が廃止区間を往復しています。


駅構内を一部残して道の駅として再整備されています。


コンコース部分は観光案内看板が設置されています。


味がある終着駅の風情を残しています。


駅設備をリニューアルした建屋内は、いくつかのブロックに分けられ、レストラン、お土産店、

観光案内、産品売場があります。


能登の特産品がオシャレに並びます。




道の駅「桜峠」で記載した「キリコ」


温泉むすめ 輪島「かさね」



輪島はNHK連続テレビ小説「まれ」の舞台でした。


もう全国で知らない人はいない「輪島塗り」


僕の中では高級品の位置づけ。 蒔絵が入ったものは超高級品。

ですが、箸や小物であれば手が出せる範囲内ですので、次回訪れたら何か買ってこようと思っています。




能登をめぐる「ふわふわのくま」からのメッセージ……『能登をたすけてほしいの』






なんだ このかわいいパッケージは♡ 「猫地獄のまる石」


奥能登の米


特産品販売所


輪島塗り


この棚の中は、ちょっと手が出ません。ごめんなさい


輪島塗のお箸


塗り箸は好きなんですが、食洗機に入れられないんですよね








輪島塗りのアクセサリー




ブックマーク……昔は栞(しおり)って呼んでましたね。


箸だけでもすごい品揃えですね


能登の地酒


のどぐろのだしパック


「まれ」を演じられた 輪島観光大使の土屋太鳳さん

震災後も訪れて輪島の方々にエールを送られています。








石川県のソウルフード「ゴーゴーカレー」が入店しています。




駅舎って感じがいいですね


レストラン





(※)ここから震災の話になります。


たぶん建物が建っていたのでしょう。更地になっています。


足元に目を移すと、まだ地震の爪痕をいたる所で目にします。


道の駅「輪島」に建てられた仮設住宅群


まだ元の生活に戻れるのには相当の時間がかかりそうです。



輪島といえば朝市なのですが、全焼してしまいました。

ここからは、輪島市朝市組合さんのサイトから抜粋します。

全文は最後のリンクからお読みいただけます。


2024年1月1日16時10分、お正月でたくさんの家族がふるさと能登に帰ってきている最中、

マグニチュード7.6の大地震「能登半島地震」が発生。石川県輪島市や志賀町で最大震度7を

観測したほか能登地方広域で大きな揺れによる被害を受けました。


輪島朝市通りは出火により大規模な火災が起き、49,000㎡が焼失、組合員も2名亡くなってしまう

という非常に悲しいできごととなってしまいました。


多くの組合員は避難所や親戚宅へ避難したようで、朝市通り近くに家があった人は避難所に、

離れたところに家がある人は、その地区の避難所などに避難し散り散りになってしまいました。


また、組合事務所や、保管していた会員名簿とパソコン、通帳を含む全記録が消失してしまい、

組合員への連絡や安否確認も困難な状況となり、大きな不安を抱えることになりました。


〜中略〜


「朝市通りは燃えてしまったけれど、もう一度仕事をしたい。」

そんな思いを、私たちは強く抱いていました。


そこで、金沢に子供たちを頼って避難していた組合員を中心に、顧問弁護士の先生や議員の方に

相談し、「魚を扱うなら海の近くがいいね」というアドバイスを受け、金石地区の方に声を

掛けさせていただきました。


金石地区では、商工会、商店街、町内会の皆様が「協力しよう」と決めてくださり、1月23日に

輪島朝市組合13人のメンバーと金石地区の方々と第一回の打ち合わせを行うことができました。


その場で「理想を言ってください」と声をかけていただき、私たちは「ゴールデンウィークに

何か商売をさせてほしい」とお伝えしました。


「わかりました。」


その温かい言葉を受け、5月の本番に向けて、まずは3月の連休にプレイベントを開催する計画

を立てました。ところが、テレビ局や新聞、ラジオなど多くのメディアに取り上げていただいた

ことで、プレイベントが本番の催しとなりました。


急いで用意しなくてはいけないとプレハブの加工場を作っていただき、3月6日には無事に

保健所の許可、水産業製造許可をいただいて干物の加工をスタートする準備が整いました。



私たちには「もし、魚を捌く包丁を半年持たなければもう仕事ができないのではないか?」

という不安と、「1,200年続いてきた歴史ある朝市を次の世代に繋げていきたい。途切れさせて

なるものか」という覚悟がありました。


そこで、いままでは全国の人に来ていただいていたけれども、今度は私たちが全国に出ていって

輪島朝市を続けていこう」という決心をしました。


そして、輪島で輪島朝市がもう一度開催できるようになった暁には、次の世代に引き継げるように、

もっと良い朝市を作ろうという思いでいっぱいでした。


2024年3月23日には、金石地区の方の協力をはじめ、たくさんの方のご協力のもと、

第一回「出張輪島朝市in金石」を無事に開催することができました。1日だけでしたが、

雨にもかかわらず13,000人のお客様にご来場いただくことができて胸が熱くなる思いでした。


輪島市朝市組合としての復興への第一歩だったと思います。


そのあとは、たくさんのお声掛けもあり、ガルガンチュア音楽祭やサッカースタジアムなど

県内での販売する場を設けさせていただきました。


また、テレビや新聞の取材で私たちは「売り場がなくなってしまった」という話をしたところ、

全国からお声がけをいただけるようになりました。


一番最初の遠地出張は、阪神大震災で被害を受けた兵庫県神戸市東灘区の「うはら祭」に

出展させていただきました。ご存知かもしれませんが、お祭りの開催場所は阪神大震災当時、

自衛隊のお風呂が設置された公園です。


30年前の震災の爪痕を一切感じさせない、子どもたちの活気にあふれている場所で、

出張した組合員一同「私たちも頑張ろう」と勇気をいただけました。


組合として、4月には輪島市役所の職員さんに感謝の思いを伝えようとシーフードカレー

や振る舞い鍋として豚汁をつくって振る舞いました。他県から来てくださった方や仮設住宅や

避難所の支援をしてくださっている方には本当に感謝しかありません。


課題はまだまだありました。出張輪島朝市で全国に出店していく中、どうしても出張にいけない

組合員も大勢いることでした。


なんとかしたいという思いに答えてくれたのが、被災後に修繕しながら一部営業を開始

していたワイプラザさんでした。


高齢の方や、畑を持っている方、家族の面倒をみるために家を空けることができない方などは、

やっぱり輪島にいてその方達も出店したいという思いがあり、交渉を進め、通路を無償で貸して

いただけるという話になったのです。そこで2024年7月10日から常設の出張輪島朝市を

開催することができるようになりました。


ワイプラザさん自身が野菜や、魚、干物などの加工品を販売しているにもかかわらず、

同じ商品を扱っている私たちに出店をさせてくれたことには、感謝しても感謝しきれない思いです。


また、燃えてしまった朝いっちゃんをもう一度作りたいと、いくつもの業者さんに連絡を

していたところ、震災前に作っていただいた業者さんと偶然繋がりました。

そして奇跡的に設計図が残っていたことでもう一度朝いっちゃんを作っていただくことができ、

年度末に開催した感謝祭では、朝いっちゃんがチェコレートやお菓子を配りました。


〇記録的大雨による災害


ようやくこれからと思っていた矢先、2024年9月に記録的な豪雨が輪島市を襲いました。

3時間降水量が220mmを超える、観測史上1位の記録を更新する記録的な大雨でした。

能登半島地震からの復旧途上に追い打ちをかけるような災害で、家ごと流されてしまい

福井沿岸で発見された方がいらっしゃったなど、本当に悲しい災害でした。


この災害で、畑を持っていた方のほとんどがダメになってしまって野菜を販売する方が

減ってしまいました。


また、近隣の店舗にも土砂が流入したことで、復旧が巻き戻る最悪の事態を経験することになりました。


翌年2025年は大きな災害もなく、出張のお声も増え、ワイプラザでの出展者も

徐々に増えてきています。おかげさまで、2025年6月にはワイプラザ内の通路から

ワイプラザ内の1区画をお借りし移動することができました。また5月には観光庁の

補助金に採択され、5月8日に輪島朝市復興協議会が立ち上がりました。


8月31日には、「復興輪島朝市×全国軽トラ市in輪島」をマリンタウンの野外特設会場

にて開催。全国から17台の軽トラと輪島朝市組合から40名が共同で出店。

前日には交流会や、当日には復興輪島朝市の計画の中間発表を行いました。


中間発表では、消失してしまったエリアに輪島朝市の広場を朝市通りの近隣に

作っていただくということを要望し、現在、県や市で検討していただいています。


これまでは、雨の日も風の日も、朝 道具を持って小屋を立てて、お昼にはまた片付けて

という生活をしていたけれども、それでは後継者が出てこない。


また、食品衛生法の問題もあり、道路では試食をしてはいけない、刺身を売ってはいけない

という問題があり、その解決につながるのではないかと思います。

(食品衛生法では生魚は三方向を囲んである場所で、温度管理がしてある場所で販売しなければならない)


広場ができ、これらの問題が解決できれば、新しい出店者や夕市の開催など可能性が広がります。


震災以来、数え切れないほど多くの皆様からご支援と温かいお言葉をいただいてまいりました。

心より感謝申し上げます。

復興への道のりはまだ続いており、これから先も皆様のお力添えが必要です。

今後とも変わらぬご支援、ご協力を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。


                                               (※)輪島市朝市組合 公式サイトより抜粋






以上「輪島」でした。







長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございます!(´▽`)