友達がね福岡のライブで
僕の曲を歌ってくれた
トンネルの向こうへ
病気を乗り越えて歌ってくれた 僕は泣きました
ノーマライゼーション(normalization)
1960年代に北欧諸国から始まった社会福祉をめぐる社会理念の一つ。障害者と健常者とは、お互いが特別に区別されることなく、社会生活を共にするのが正常なことであり、本来の望ましい姿であるとする考え方。またそれに向けた運動や施策なども含まれる。
※ウィキペディアより
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僕は何度も夢にうなされて生きてきた。その夢は「夢」とうより「確かなビジョン」であり、「夢」ではなかった。だって自分が死ぬ瞬間の物語であり、その瞬間は何種類もあるのです。僕は何度も生まれてきたことを知っているだけれど証明はできないね。だけれど、僕の中では人に証明できないことを知っている形而上の真実があることを確信しているし、その真実は誰にも左右されることはない。
一番最近の死んだときの記憶を書きます。
僕は琵琶湖のそばで生まれて、その風景が好きで親しんでいたけれど新聞社に勤めるオヤジの転勤で関西の兵庫県に移転した。それはきっと昭和のはじめで性は「原」といいました。
僕には兄貴がいて、兄貴にあこがれて、当時のエリートである「海軍」に志願して入隊しました。僕はふるさとを離れて舞鶴の士官学校へ。そしてついに兄弟で神風特攻隊に身をささげ死ぬんだけれど。兄は先に逝った。僕は鹿児島から紫電改というポンコツ雷撃機で戦艦ミズーリーに突撃することを命令されました。
兄は武芸に優れ、しかも心優しく誰からも好かれる方でしたが、僕には冷たく軍人になることを嘆いていました。「死に方には意味が必要であり、それは家訓よりも重要である」と。彼は死ぬことを何も恐れてはいませんでしたが、死ぬ意味をとても恐れていたように感じました。親は誰も人を殺すことを教えないといいいつつ軍人であった兄。
僕が海軍に入隊したおりに、姫路にいた新聞記者のオヤジは文学の虫といっていいほど言葉を研究しているひとだったのかもしれません。すぐに平安から鎌倉の古文を引用して私たちに時々に教える知恵のある人でした。僕は何も知らない若者で、心だけは愛国心に満ちていて国家第一の忠義に燃えていましたが、先輩であり尊敬する兄は僕の論議を止め、父にいたっては涙して僕を諌めるのです。
いまも残っている神風特攻隊の辞世は受け売りが多いのはあたりまえです。十代の、それも急に死ねといわれた若者が何を書けることでしょうか。私は「原少尉」として19歳でミズーリーに突撃しましたが、隊の12機はみな沖縄と鹿児島の間あたりで撃墜されました。吉田一人が突っ込んだことを知っています。
「散るサクラ残るサクラも散るサクラ」と僕が書いたのは父が平安の書を家に置いておいてくれてから。
僕は敵艦の数キロ手前、高度1000メートルで右翼先に被弾。
続いて進入を試みた瞬間にエンジンをやられて風車のようにクルクル回りながら落下しました。
清水。清水!きっとその人が一緒にのっていたんだ。彼はもう死んでいました。僕は頭から大量の血を流していて、いたくって気を失いそうでした。
機はグルグルと回って、海はコバルトに美しく「ああ、死ぬんだなぁ。人を僕は殺さないで本当によかった。」と、心から思ったことを思い出します。その死ぬ瞬間。コバルトの海へクルクル回りながら落ちる瞬間と殺さないですんだ感動と、自分がいま死ぬ空虚と。
痛いし安心したし。海に落ちて真っ暗になった瞬間に仲間がやってきました。
僕は死んだんです。きっと。落ちた瞬間のことです。何よりも安らいでいてすばらしい時を向かえました。
死ぬ瞬間までの恐怖といったら世界がチリジリなるほどだというのに、生きているときとは比べ物になえらないほどの安らぎがおとずれました。
いっしょに戦い死んだアメリカじん。日本人。みんな集っていた。それぞれが自分の蛍光灯のような光を抱いて、優しく愛だけを語って次の転生に思いをはせるのです。
一番光るリーダーがいいました。
僕らはみな同じなのに戦っているね。バカみたいだね。みな誰もここにいる35人は望んでいないし、生まれた場所だけで争ったね。
僕らは心から涙を流して後悔してアメリカ兵と抱き合いました。ハグしました。お互いに心から「ごめんよ」といいました。リダーはいいました。
「僕らのように若くして死んだものはすぐに生まれ変わらねばならない。」と
僕は通常の転生を知らないけれど、威厳があり信用できるリーダーに従うしか方法はありません。次に生まれる親を探しました。それは決まりで、
自分が成長できること。
親も成長させることができること。
その縁で社会に貢献できる塊(かたまり)になること。
でした。
皆が一番つらい使命と経験を望みます。それは誰よりも自分が犠牲になりたいからです。死んだ人はみなそう思うのかもしれないです。でも、それは無理です。光によりリーダーが決めます。だって無理なのです。途中で自殺するんです。
リーダーのほかに一人だけ大いなる光を輝かせたアメリカの軍人が僕に近寄ってきました。
彼の光は暖かく、僕と同じ色をしていました。
「君は、何かの形で社会を包含できるの。僕も同じだ。だから今度は僕が一番重要な役割をして、君と生きていくね。」といいました。
二人は親を選んで生まれました。この北海道に。
僕はこの記憶を、たくさんの「きずかせ」によって生まれてから30年後に「確か」な記憶として思い出しました。あの約束したアメリカ兵。光の強い(普通では天才的有名人)とは、重度障害をもった友人として出会いました。お互いに出会って抱き合って泣きました。ずっといっしょだったこと。あえなかったこと。あえたこと。抱き合って泣きました。
僕たちは親を選んで生まれた。
僕たちは約束して出会った。
僕たちは魂が一番強い障がい者を天使として生きなければ愛を教えてもらえない。いいや、のーマラオゼーションという人間の理想は絵に描いたものではなく、本当はあたりまえのことなんだ。
彼らはね。
強く
聡明で
優しく
自由だ
それを教えたくて望んで生まれてくることを忘れてはならないんだ。それを意味づける宗教はないね。でも、僕はしった。だから僕の、あの友人のために生きてゆくよ。

「路 傍 の 花」
先を知らぬまま生きてきた
傍らの花々に想いもよせず
そよ風よ教えてよ時の流れ
移ろうすべての本当の意味
知らぬ間に生きる悲しさを
巡り来る季節の優しい心を
意味を探しては戸惑い迷い
鼓動の太鼓をたたき続ける
いつか血が流れても挫けず
繋がりを求め続ける勇気を
この世界に答えはあるんだ
傍らの花々に想いをよせて
君を知らぬまま生きていた
夢を傍らに生きようとして
悲しみよ教えてよ繋がりを
結びつきを知らぬ僕の心を
知らぬ間に孤独を手にして
落ちていった長い夜のこと
一生懸命の笑い顔がつらく
思い出が僕を責めているよ
いつか涙が流れていたんだ
悲しみの生まれ場所を知り
僕の未来に答えはあるんだ
知ることを知る勇気の中に
この世界に答えはあるんだ
傍らの花々に想いをよせて



