これから時々、気が向いたときに・・。
これまでの自分の足跡をなんとなく書いてみようかと思っています。
本当の自分を生きるために。
わたしが歩いてきた道は。
長いのか、短いのか、険しいのかどうなのか。
自分ではよくわかりませんが(笑)
読んでくださる方の、何か参考になることがあるかもしれないと・・。
ある方に勧めていただいたので。
徒然なるままですので、面白いことは無いですよ!w
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自分の記憶はおそらく2歳くらいからあると思う。
とてもうっすらとしたものだけど、大好きだったものや風景をおぼろげながらに覚えている。
その頃わたしは東京に住んでいた。
今ではすっかりオシャレな地域になっている二子玉川。
父の会社の社宅にいたようだ。
もちろん、街の風景など、詳しいことは覚えていない。
ここに住んでいたのは3歳までで、その後関西に移ったからだ。
覚えているもの。
「とききちゃん」とわたしが名付けた、赤ちゃん用の枕。
ピンク色で、タオル地で、真ん中が凹んでいる犬の形の枕で、この枕をギュっと抱っこしたり、なぜか足の間に挟んで、その冷たい感触を楽しむことが大好きだった(笑)
もうボロッボロになるまで使い続けたことを覚えている。
家の前に置いていた、子供用のブランコ。
我が家のものか、社宅のものかはわからないけど。
枇杷の木!!
社宅の敷地内にあって、実がなると取って食べた。
今でも枇杷は大好きで、枇杷の木を見るとキュンキュンする。
7年前、再び東京に越してきてわかったけど、東京の街中には枇杷の木が多い。
関西より圧倒的に多い。
濃い~ピンクに白い水玉模様の、人形用のベビーカー。
これが相当お気に入りで、どこに行くにも持って行きたがったので、母は相当苦労しただろうな(笑)
玉川の河川敷を歩いたような気がする。
高島屋のピンクのバラ!
デパートの様子は何一つ覚えていないのに、このバラの花だけは強烈にインプットされている。
向かいの建物に住んでるお友達の家のパパ。
わたしはこの頃極度の男性嫌いでw
大人の男の人を見ると、とにかく100%ギャーギャー泣いていた(笑)
それは覚えてる。
今思えば、父親の煙草クサイ臭いがとってもイヤだったんだろうなぁ。
そして岩崎宏美さんの歌!!!
やっとしゃべれるようになったかならないか・・くらいの頃から、とにかくずっと歌っている子供だったらしい。
「あなたお~ねが~~いよ~~♪」というのは18番で。
宏美ちゃんの大ファンだったそうだ。
そういえば、この頃の懐メロを耳にすると、妙に歌えたりするときがある。
あれ?なんで知ってるんだろう?みたいな。
三つ子の魂、百まで・・と言うが、やはりわたしも3歳になるころには、誰に教わるでもなく、もうすでに大の歌好きになっていたようだ。
そして3歳になった頃から、東京の家でピアノを習い始めた。
最初は母の近くに住む友人に教えてもらっていたそうだ。
先生のことは何一つ覚えていないけど、ピアノを習い始めた!!という興奮だけは覚えてる。
まもなく4歳になる直前の春に大阪に引っ越して。
幼稚園で教室を開いていた先生にひき続きピアノを習う。
物心ついたときにはもう絶対音感があり、年長になるころには歌を聞けばすぐにピアノで簡単な伴奏をつけて弾くことができた。
今考えれば天才だ(爆)
でも、耳が良すぎて楽譜を見ないで覚えて弾いちゃうので、楽譜がなかなかきちんと読めるようにならなかった。
譜読みは本当に苦痛で(これは大人になってからもw)小学校二年生くらいまでは理解できなかった。
幼稚園から小学校にかけて夢中になったのは、ピンクレディー。
キラキラした衣装を着て歌い踊るミーちゃん、ケーちゃんにメロメロになった。
当時好きだったのはケーちゃんの方。
理由は「髪が長いから」。
男性嫌いだったからなのか、女好きだったのか、無いものねだりだったのかわからないけど、女性的な人が好きだった。
ケーちゃんのプラスチックでできたお人形を持っていて、一緒に歌ってた。
小学校1年生の時には、クラスの女の子みんなをまとめて、UFOを大勢の前で歌った記憶があるけど、何の会だったのかはわからない。。
そして時代はアイドル全盛期へ。
わたしもアイドルの歌を片っ端から覚えて歌っていた。

