我が家から徒歩10分の河川敷がメイン会場ということで、毎年子供たちと張り切って参加していた。
荒川は隅田川より川幅もあり、大きな花火が打ち上がる、なかなか規模の大きな立派な花火大会。
でも今年は気がつけば第3木曜日が過ぎていた。
あれ?花火は??と思ったら。
震災の自粛で中止となったのでした。
中止が決定したのは確か3月じゃないかなぁ・・。
ちょっと軽はずみな決定だったのでは?と思います。
確かに辛い環境に置かれている人達からすれば、我は関係無し・・と花火で浮かれている姿は腹立たしく思われるのかもしれない。
でも。
花火師さんは東北の方が多いそうだ。
夏は年に一度のかきいれどき。
震災で打撃を受け、さらに自粛でワンシーズン仕事が無くなる・・って思えばその自粛には大きな矛盾がある。
自分が辛い状況にあるとき、お隣りさんが幸せそうだったら憎たらしいだろうか。
「一緒につらそうな顔をしててくれ」と思うだろうか。
わたしは阪神大震災を経験しています。
幸い自宅は大した被害も無く、家族も友人も皆無事でした。
でも、母校の周りは火の海となり、慣れ親しんだ街が破壊されたのを観るのは
かなり想像を絶する体験でした。
わたしはたまたま神戸の人間でしたが、お隣り、大阪は普通でした。
一部、家屋が倒壊したり、損壊したりしたおうちもありますが、街は無事。
地獄絵図のような西宮市からほんの15分電車に乗れば、そこにはいつもの大阪がありました。
当時は大阪の学校に通っていましたので、4月からは普通に登校もしました。
(三宮ー大阪間の電車が復興するまでは、三田、宝塚を経由して通いましたが)
無事である大阪を頼もしく思うことがあっても、「一緒に倒れてくれ」とは微塵も思いませんでした。
自粛ってなんなんでしょうね。
なんのための、誰のための自粛だったのか。
これを機会によく考えようかと思います。
もっと他に自粛すべきことはたくさんあるのではないか?
そうも思います。
関西からは花火の便りがチラホラと届いています。
いつもの夏がそこにあることを、わたしは心から嬉しく眺めています。
今年、関東の空に花は咲かない。
せめて、その分一日も早く、東北の皆様に笑顔の花が咲きますように・・・。
祈りつつ。
明日も自分にできる精一杯をしようと思います。
それは笑うこと。
歌うこと。
誰かを愛すること。
おやすみなさい。

