今、コンピューターを一旦消して、もう一度立ち上げました。そうすると、さっきは大丈夫だった写真が消えていたり、さっきは消えていた写真が出てきたり、と何だかどうも無茶苦茶になっている。
ということで、予定を変更して写真のないエントリーにしますね。
でも、大丈夫。たまには文字だけで楽しみましょう!
今、僕は8月のエッセイ本出版に向けて、一生懸命追加分のエッセイを書いています。今までに既に新聞で発表した50本だけでは1冊の本にするには足りないのであと20本書いてくださいと出版社の方に言われたからです。
これには僕も勿論賛成で、新聞を何度が読んでくれた人達にも新ネタを披露したいと思っています。
先々週の金曜に追加分最初の4本を提出し、先週の金曜に3本提出。6本の内、1本は不合格になってしまったので、それをまた書き直しました。次の締切は少し延ばしてもらって土曜の夜。同じく3本。
来週はお休み。と言っても、僕は休みじゃありません。休みにしたのは、ENJOYという雑誌に提出する約4000字の長いエッセーの締切が20日。新聞の方には2本提出で、締切は21日。僕の筆力ではこの上に更に本用の3本はちょっと無理なので、一週間お休みを頂いたという訳です。
思えば、僕はアメリカに20年以上前に来てからというもの、子育てに忙しかった3年間を除いて毎日何らかの文章を書いています。子供が生まれるまではずっと英語でシナリオを、子供が4歳になってからは、ずっと日本語のエッセイを。そして、今年の2月14日からはこのブログを毎日書いています。
書く、という行為はすっかり僕の生活の一部になっています。人生の重要な一部と言っても差し支えないと思います。
こうやって文章を楽しんで書けるようになったのは、高校の恩師である三浦先生という方のお陰だと僕は思っています。
当時、先生は多分40代後半くらいだったと思います。
先生がある日授業で、「文章力をつけるには新聞の社説を要約するのが一番だ。この中にやる気のあるものがいたら、毎日添削してあげます」とおっしゃいました。
どういうきっかけでこれに参加することになったのかは忘れましたが、友人達、確か5人くらいで、三浦先生の「社説要約の会」に入りました。
毎日、毎日、月曜から金曜まで、前日の社説二本の内の一本を200字に要約して、それを先生に、やはり毎日、昼休みに添削して頂きました。うまくできた時は先生がグルグルと何重もある大きな丸を書いてくれて、それを励みに皆頑張りました。当初のメンバーの誰ひとり欠ける事無く、卒業までの一年間、ずっと続けました。
僕の文章を書く力、読む力の基礎、基礎とまで行かないとしたら、読む意欲と書く意欲はこの時の鍛練から生まれたと思います。
今、僕はリトルリーグや、娘の劇やらでボランティアをしますが、三浦先生が僕達の為に費やしてくれた労力と時間はそれらの比ではありません。それを思うと、もっと先生に感謝しておけば良かったと思います。
三浦先生はもう10年も前に亡くなられました。もともと心臓が悪かったそうです。当時、「健康」という概念さえなかったくらい健康だった僕達は、そんな先生の健康状態などにも全く頓着していませんでした。
こんなブログに今さら書いても、三浦先生のご家族やお知り合いの方が読んでくれる可能性は皆無に等しいとは思いますが、せめて、僕のブログの読者の皆さんに、「僕はこういう立派な先生のお陰で、こうして文章を楽しんで書けるようになったんだ」という事を知って欲しかったのです。
そして、もし、読者の皆さんのどなたかが、人に物を教える立場でいらっしゃるなら、どうかこれからも頑張ってそのお仕事なり、ボランティアなりをお続け下さい。教えられている者はちっとも感謝してないように見えるかもしれませんが、中には後になって人生の最大の贈り物を頂いた、とまで思う人が必ず出て来ると思います。
大阪府立三島高校で現代国語を教えて下さった三浦先生。本当にありがとうございました。ありきたりな言い方ですが、ご恩は本当に一生忘れる事はないと自信を持って言う事が出来ます。
Takaya
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