祖父の話を思い出したので少し書いてみよう。

祖父が亡くなって丁度20年。生きていれば101歳。激動の戦時中が青春時代だった。青春は戦場だった。

私がヤンチャだった学生時代はそんな祖父の戦場での武勇伝を聞きたくてよくたずねていたが、あまり教えてはくれなかった。亡くなる1年前ぐらいにようやく話をしてくれたが、ヤンチャだった頃に話してくれた話が本人は一番の思い出だと言っていた。

それは1942年(昭和17年)頃の話だ。祖父は27歳、下士官としてビルマの戦場にいて、ビルマから英国を追い出してある村に駐屯していた。ビルマ人は英国を倒した日本兵に友好的で祖父も一時の平和を過ごしていた。

祖父がいた第18師団は福岡、北九州の師団で日本軍の中でもエース級の強さを誇り、菊兵団の通称を持っていた。(菊は天皇陛下の御門)

ある日村長が血相を変えて部隊に助けを求めて来た。ある夫婦が喧嘩をして奥さんが暴れているので止めて欲しいとの事。

上官が部下に伝えて、誰か勇敢な?奴はいないかとなった。その時に現地語を少しマスターしていた祖父が名乗りをあげた。

上官は笑いながらもしかしたら英国よりも恐ろしいかも知れない、気をつけて行くようにと励まして?くれた。

祖父は村長とその夫婦の家に行った。奥さんが暴れて手に刃物を持ち、旦那を殺すと叫んでいる。祖父は何とか奥さんをなだめ話を聞いて見た。

理由は旦那の浮気だった。同じ村の女性と浮気したらしい。祖父は現地語で旦那を叱り、もう会わないと奥さんに誓わせ、奥さんも納得して収まった。

祖父は引き上げ上官へ報告した。上官はこれは勲章ものだと笑いながら答えた。

それから村はますます祖父たち日本兵に友好的になり交流を深めた。

その後戦勢も傾き英国が反撃に出て村を出る日が来た。村をあげて悲しんだと言う。

それが私が学生の時に祖父から雄一聞かされた武勇伝だった。祖父は現地語を使って夫婦喧嘩を仲裁した話を幸せそうに語った。その時は拍子抜けしたが、今はわかる。嫌なものをたくさん見た戦場の一時の平和が祖父の一生の思い出になったのだろう。

祖父はビルマを気にしていた。ビルマからミャンマーに国名が変わり、政変などテレビで見るたびに気にしていた。第二の故郷のように。