転移して半年で改めて人生を考えるとまるで人生とは線路のような気がする。

産まれた時から全ての人は線路の上を走っていると思う。分岐と駅とを通過しながら走ってるような。

線路はすぐ近くは見えるが先は見えない。乗って走らないとわからない。

走ってると駅に着く。出会いとは違う線路を走って来た人が運命でその駅に着き出会うものだと思う。そこで並行して走る人もいれば、別れてまた別の線路を選んで走って行く人もいるだろう。出会いの駅は運命的な駅だと思う。全ての人とは出会う事が出来ないからだ。

その駅にいると色々なお土産物がある。それは嬉しい思い出と嫌な思い出だ。絶対に2つのお土産をくれる。片方だけなんて決してない。それをバックに詰めてまた走り出す。それが経験という形の土産物と思う。

嫌な思い出は極力バックの下におきたい。でも良い土産にぶら下がってもいけない。何故なら線路は走り出したらもうその駅には戻れない。人間の線路にはバック機能が無いからだ。

また次の駅を探して走り出す。新たな出会いもあるだろう。決して過去に戻ろうなんて思ってはいけない。思い出は思い出なのだ。

線路は決して真っ直ぐではない。必ず曲がっている。分岐点もある。分岐点で真っ直ぐ行く人もいれば左右に行く人もいる。決して後ろには行けない。未来しかない。

人によって走るスピードも違うだろう。新幹線みたいに速い人もいれば、機関車のようにゆっくりな人もいる。決して他人のスピードを焦っては行けない。止まらないと行けない駅も見過ごさないように。

ふと半年でそう思うようになった。思い出は思い出として。