今日は、PTAの行事のMTG。なかなか土日に参加できない私ですが、

なにしてるかって話を、理解できなくても受け入れてくれる「ええ人」達ばっかり。 

 

そして理解深いというか、この環境に生まれてきたからには

どうしようもないかもしれないが、

 

うちの子ども達。

私以上に、感覚が開けていて、あるがままに生きてる。

 

生まれたときから、むしろ生まれる前から、対等以上の存在として一緒に過ごしてきた。

 

もちろん、私が怒ることもあれば、彼女達も駄々こねるし、熱出たりケガしたり、子育てなんて綺麗ごとじゃない。

 

私は離婚をしたけれど、

それが子供達の不幸の理由でもないし、幸せの理由でもない。

 

それを言い訳にすることが不幸そのものだよね。

 

ということを、それまでは持っていた

「離婚したら子供は不幸になる」「離婚してはいけない」という思い込みを

 

そういう人もいれば、そうじゃない人もいるよね

 

に書き換えた。

 

人には

環境をプラスにもマイナスにも変える力があって

打ちひしがれたり、孤独を感じたりすることもできるし

幸せにもなれる。

 

 

それは

どんな才能を持った人にも、どんな宿命を背負った人にも等しくある可能性。

 

私にもショックな出来事があれば、共感覚ゆえの孤独感や、悩みもあれば

鬱状態も経験した。

 

でも、そこに囚われてることが、どれだけ自分の力を奪われているかということに

気づかせてもらえた。

 

どちらも、選べる、ということを。

身を持って体験した。

 

まったくゼロに等しいところからのこの5年間は

人としての「生きる力」と、人を養うこと、男性性に感謝した。

 

子供達は

可能性をたくさん持てる力がつくといいな。

 

これも、親の願望でしかないのだけれど。

 

 

生まれてから3年くらいは、ほんとに可愛すぎて

片手で抱っこしながら、ほんとにずーーーっとべったりして

身体歪むくらい。。

 

七田式の胎教から、右脳教育、多言語、インターの幼稚園、公文学園、バイオリン、家には平均台、ホタル取りに行って、公園で遊んで、もうおなか一杯になるくらい遊びと幼児教育を楽しんで、私は上の子が10歳のころ、教育(&実験)ママを卒業しました。

 

そもそも、自分の脳がどうなってるのか

知りたくて

 

そして、2歳半では本が読めていたという、私の育て方は

 

毎晩読み聞かせ、NHKの英会話、仏語会話、スペイン語、、一日中かけ流し

クラッシックのレコードをベビーベッドの横で絶え間なく流していた

母に倣ったもの。

 

そして、ほんとに、再現性のあるものか、確認したかった、というところ。

 

未来が見えたり、物を真上から、真裏から見ることができること、人の気持ちが見えること、

幾何学が動き出すこと、瞬間写真記憶、数式が見えてくること、音に光、人のオーラ、チャクラが見える共感覚(この言葉は便宜上)

大いなる意識との対話。。

 

人には誰しも、潜在的に持つ、本能的なものだってことや、

 

先天的と後天的の、境目があるのかどうか

宇宙の法則が、この三次元で、どう機能しているのかということも

 

いま、何時代なのかということも(時間の感覚も螺旋なので)

 

日々、探求することが 面白い、そんな子供だったし、現在進行形ではあるけれど

 

ずーーーっと 感じてきた、

 

ある転換点であり、集合場所に

 

限りなく近づいている。

 

これまでは、適当だったブログも

 

たくさん書いていくかもしれないし

 

ブログではないのかもしれない。

 

とにかく、記していくのだと思う。あやしいことも 笑

 

ちなみに、私にはチャクラってこんな感じで見えている