WHY どうしてそれをやるのか

 

が決まれば、HOW(方法)や、WHAT(なにを使って)という選択が

できるようになるということ。

 

これは、レストランでメニュー選ぶことも

どの本を読むかということも

 

仕事だって

自分探しだって きっとここにある。

 

ラーメン屋に行って 蕎麦はめったに出てこない。

 

でも、蕎麦を食べることがWHYと繋がっていれば、

 

なぜか、ラーメン屋に行って蕎麦が食べられるようなことが起こる。

 

100あるうちから、99捨てて 1つを選べるし

その1つが正解かどうかより、WHYを達成できれば

 

どれ使っても、どの道通ってもいいじゃん

ということにも気づける。

 

 

そして、正解はないし、無限に選択肢(パラレルワールド)はあるし

 

周りに褒められる生き方よりも

自分の魂が喜ぶ生き方で 共振共鳴し

共鳴する人を、まず一人ずつ、増やしていく。

 

言うのはカンタン、同意するのもカンタン

 

だけど

 

なかなか 自分のなかで、すんなりとは認められないっていうのは

 

幸せにならない言い訳のほうが 正当に見えるし

 

安泰だから(恒常性、ホメオスタシスというもので)

 

でも 安泰も大事  

それを選びたい人は、それでいいと思う。

 

 

先日、船越先生の講演のなかで、たくさんいい話があったのだけど

 

「バカやろう~、そんなこと言っても、家に帰ったら

 

いいこと聞いたと思いながら、

 

忘れちまって、なんにもやんねえくせに! ひとつでも行動しろ(笑)」

 

という愛情たっぷりの喝とばしまくりの講演を聞いて

 

会場一同大笑いしながら、この人の生き様すげーと思った

 

 

永遠の少年で、共感した私の心も少年だった。

 

その少し前に、私よりもぐんと年長者の「こども」が

 

羽目を外して、いや~ごめん! と

 

照れ笑いしていた。

 

迷惑かけても伝えたいこと やりたいこと

世界を敵に回しても、自分の見方でいる

 
 

この反対は

 

迷惑かけてはいけない

 

ひとりでも多くの人に好かれたい(共感者を増やすことと似て非なる視点)

 

 

現在進行形のやんちゃな、思いを貫く人って

ほんと、女性でも男性でも 魅力溢れてる。

 

世間的に 善い悪い、常識非常識とは

別の観点なのだけど。

 

どう生きたいか

 

をハッキリしていくと、離れる人は離れるでしょう。

 

でも、必要なこと。

 

「正しいかどうか」にフォーカスしてないか、

いい人ぶってないか

 

WHYを本気で伝えてるか

 

自分の悪いとこ、だめなとこ、全然なってないとこ、

 

凸凹があって 形づくられるし、

 

凸は凹と出逢うためにまず

自分の形を知らなきゃいけない。

 

 

 

 

 

真理や宇宙の法則は1つだけど

それぞれの真実があって

私の世界では 私の真実を貫こうとしている。

 

 

真実の確認のために、不幸になってみたり、病気になってみたり

ケガしてみたり、しながら生きるのが、これまでの地球だったかもしれないけれど

 

幸せになってみたり、健康でいられたり、ケガしなくても

問題が起こらなくても

 

 「真実通り生きたらいいよ」 と身を持って、体験を通して

シェアしてくれる人にたくさん触れることができる時代だから

 

ある程度の問題は無くなって「自分を生きる人」の観念は

勝手にそのうち、主流になるだろう。

 

だけど、、、

 

いい話を聞いたって、今を生きている人に出会ったって

 

いままで、夢は叶えられなかったけど、生きることに困らなかったし

やりたいことやりだすと、迷惑がかかるし、嫌われるし

 

お金持ちになりたい けど お金を受取れない(←受取る価値、自信ない)

幸せになりたい けど こんな私じゃ(←幸せになる人の定義、条件づけがありすぎる)

 

というところを 自分と話つけれなかったら

 

いつまでも変わらない

 

それは、どのメソッドや成功法則を選んでも、最後は自分で超えるところ。

 

最初から自分で超えられたら、なにもHOW(方法)はいらないね。

 

傷つく、傷つける、不幸になるのを覚悟で ひとつずつ

 

バンジージャンプを飛ぶように、実験して、実行してみるしかないんだよ~