墨田川と荒川に挟まれた陸の中洲
北千住に通称:ほくせんと呼ばれる組織があった。
国道4号線を真っ直ぐに墨田川を越えて規模は小さいが
5人のたまり場があり、大関横丁を浅草寺に向かうと
もう一つの勢力、通称:あさごくが睨みを利かせている。
明治通り沿いから竜泉、泪橋と吉原大門、そして浅草に入る。
北と南をこの二大勢力に挟まれた形でいつも小競り合いを起こしていた。
北は橋を渡るとどこからともなく刺客が現れる。
南は山谷地区に入ると情報があさごくに入る、警戒が必要だった。
5人はいつも一緒というわけではないが小さいころから悪さを楽しんだ
いわばくされ縁の友だった。
5人が5人とも最初から一緒だった訳ではない。
長井と小松崎は幼馴染
長谷部と宮崎と私はそれぞれの小学校から同じ中学に集まった。
お互いに名前は聞いたことのある存在で
長井と小松崎とは11歳のときに、長谷部とは12歳のときに
すでに公園で殴り合いをしていたので中学でもお互いが意識をしていた。
皆の運動神経はズバ抜けていたと思う。
当時、読売のユース(現東京ヴェルディ)に
長井、小松崎はスカウトされていた。
宮崎もめずらしい体術の骨法(日本拳法)をやっていたし、
長谷部は、盲目の祖父に
幼いときから空手を叩き込まれていた。
小学校のときから大人達に睨まれてた俺達はたまたま同じ中学に入り
殴り合いをしながら自然に友情を高めいき、
仲良くなるのに時間は掛からなかった。
当時、悪さといっても自分よりも弱い奴には無関心・・・・・・・
むしろ、強い奴ほど牙を向けたのだが、
不良という意識は、まったくなかったように思う。
つるむのも好かず、威張るのも好かず、偉そうにしてる奴や
曲がった奴、つるんで気持ちが大きくなっている奴なら
喜んで遠征しては懲らしめて笑いながら帰ってくる。
知らず知らず近隣周辺で騒ぎになると俺達というこになった。
俺達は5人で充分だった、どんなに大人数でも大人数なほど
血が滾り 心が躍る。
そんな日々が続き、いくばか名が知れるようになったのか・・・・・・
二大勢力が次第に5人を的にかけだしたのは15歳の冬だった。
5人のたまり場は長屋の1室を昼夜問わず誰か行けば誰かいる。
ぴろ という親父と二人暮らしの男の家だが普段親父は帰ってこない。
そこで生意気にも、やっと覚えたての麻雀を
寄せ集めの人数で足りない頭を使い役を考えながら打っていた。
部屋は寒く隙間風が酷い・・・・・・
歩く音が聞こえるドタドタと長屋特有の腐った板の音がした。
いつもの奴らだろうと思い、ふと引き戸が開くのを見ていた。
『大変です』
一つ下の小松崎が可愛がっている松岡が顔色を変えて入ってきた。
『うるせーよ、どうしたんだよ??』
『ほくせんの奴らに先輩達が囲まれてる』
『まじか?で、場所は?』
『汐入です』
『他に誰がいる?』
『宮崎さんと長谷部さんです』
・・・・・・くそっ、とうとう橋を越えて来やがったか・・・・・
『長井は?』
『わかりません』
『探して汐入に来いっていっとけ』
『はい・・・・・でも相手が・・・・・』
『なんだよ』
『向こうは20位います』
『関係ねー俺は先に行くから長井を探せ』
同時に俺はぴろの原付に乗って走っていた。
得物は持たない・・・・・
妙なところがあっていつも得物は持たなかった。
弱い気がして・・・・・・
汐入とは旧国鉄の車庫があった跡地を公園や
グランドにしてある墨田川の堤防で囲まれた夜は誰もこない場所だった。
いつも外で単車に乗って遊ぶときはその堤防沿いで集まっていた。
今ではタワーマンションが建ち並び当時の面影はない。
『くそっよりによって川を越えて来やがったのか”ほくせん”』
向かう途中で体が震える、恐怖心などなかった、全身の毛穴が締まる。
そしてぶるぶるっと震える・・・・・はじめて経験したのは11歳の時。
小松崎と殴りあったときだ。その時は、自分は怖いのか?と思っていた。
が今は違う、必ず暴れる前に体が震える。
口が笑っている、そう武者震いだけは"慣れねーな”と思いながら
汐入に向かった。
人には人のために熱くなれる人とそうでない人がいるのか?
15歳の情熱は確かに仲間のために動いていた。
そして真っ直ぐ動く・・・・・
考えさせられる、利害で動く自分になったのは間違いない。
そんな思いで書いてます。
続
|彡サッ