アクエリアスチャレンジブロガーの募集を見たのが去年の2月くらいでしょうか。


「運よく採用されたら面白いかな」

最初はこんな軽い感じでした。


そもそも運動をろくにしていないメタボな僕が、フルマラソンに挑戦するチームに入れてくれるわけがないと思っていたのです。


「無理だとは分かってますが、僕が挑戦する姿を見せることで世の中の子供たちに挑戦する勇気を、仕事と育児に日々頑張るパパママに諦めず頑張ることの大切さを教えたいです」


選考面接で僕はこう言ったのを覚えています。

そしてあれよあれよと採用に・・・


面接で公約したことを実現させなければならない立場になったわけです。。。



<2014年3月>



コカ・コーラ社で行われたメンバーと最初の顔合わせ。




そして駒沢公園で行われた第1回目の練習会。




初めて買ったシューズとウェアを着て初めて走った距離は500m足らず・・・

駒沢公園1周(2Km)を走ることはできなかったのです。


先が思いやられる練習会でした。




<2014年5月>



代々木公園での練習会。

最初のアップでみんなと軽く走っただけでパワー切れしてました・・・

まだまだ体重は80キロ台。。。


そしてこの後、最初の膝の負傷に見舞われてしまいます。


ランナー膝を発症したものの、無理して走ってまた痛める・・・この繰り返しでした。

見かねた有里コーチから練習禁止の厳命を食らってしまいました。


このころの僕は、ただただ腐ってました。

「ほらやっぱり」

「できるわけないんだよ」

「どうせ僕はお荷物だ」

などと、ネガティブ丸出しの時期でした。


でもそんな僕を厳しくも優しく支えてくださったのがこのコーチ達だったのです。



腐ろうとする精神を必死に抑え、今できることをひたすらしようと決めたのです。



ダイエットに励み、決死の体幹トレーニングを積んで怪我しにくい体作りをしました。




<2014年7月>


およそ2か月のラン禁止を経て、ついにラン再開。


みんなが僕の復帰を祝福してくれました。

復帰ランを果たしたのは、その後僕のホームグラウンドになる皇居。


1周5キロを走りました。


有里コーチと。



仲間と。


ちなみにこの日、初めての5キロでした。

このころから僕の中で、自分もチームアクエリアスの一員なんだと認識するようになってきたんだと思います。




満を持して挑んだ2か月ぶりの公式練習は夜のお台場でした。


約8キロを激走し、燃え尽きました・・・

この頃はまだまだ10キロが先の先に思えてました。




<2014年8月>


夏になると体重もみるみる減ってきて、怪我こそちょくちょくするものの回復も早く、練習量も一気に増えました。


実は当時このことはブログには書きませんでしたが、まだ10キロが走れずにいた僕に有里コーチから特訓の誘いがあり、マンツーマンで駒沢公園をラン。

初めて10キロ走ったのです。


有里コーチからは「みんなに内緒ヨ」と言われてましたが、もういいでしょう。




9月のランガールナイトというイベントで10キロ挑戦するメンバー2人と駒沢公園で自主練。


この頃になるとかなり体が絞れてきて、メンバーと一緒に走ることがようやくできるまでに達しました。




<2014年9月>



公式練習は皇居で。


初めて15キロを走ることができました。


この頃から、朝早起きして皇居に行き2週ほど(10キロ)を走って、シャワーを浴びて出勤!という生活が始まりました。

(のちに寒くなるとこの習慣は途絶えました・・・また来週くらいから再開しよっかな)




<2014年10月>



13キロの減量に成功!!



10月になると再び膝の不調が続くようになり、思うように練習ができなくなりました。
ハーフマラソン挑戦を控えていたため、かなり焦っていたのを覚えてます。


でも前回の反省から「痛いときは絶対に無理しない」のを鉄則のように守ったため、怪我はそれほど深刻になることはなかったようです。


その後、今に至るまで様々な痛みをかかえてますが、それなりに痛みと付き合いながら練習することを覚えていきました。



<2014年11月>




小豆島のハーフマラソンを完走しました。


20キロという壁は当時相当高かったのを記憶してます。

今となっては20キロなんて、軽く(?)走れてしまうのにね。


小豆島ではメンバーもコーチも一緒に宿泊し、さながら合宿のような楽しい夜を過ごしました。



メンバー同士の絆が深まった合宿になりました。




<2014年12月>


コーチから月間150キロという目標を課せられました。

年末で忙しい中、仲間同士で一緒に練習したり何とか時間を作り目標を達成できました。


そこで、1月の東京30K、そして最終目標である横浜マラソンが決まったのです。




<2015年1月>


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死ぬ思いでハーフを走ってから2か月。

心拍数を上げすぎないような練習を積んで挑んだレースで、歩くことなく30キロを完走しました。


フルマラソンへの手ごたえは・・・残念ながら感じませんでした、、、




<2015年2月>




毎月あった公式練習もこれが最後。


鶴見川の18キロを全力疾走し、自分の限界に挑戦してみました。


ここでみんなが揃ったのも、みんなそれぞれ体に心に痛みを抱えながら、でも諦めずに続けてきたからこそです。

お互いの努力を誉めあい、励ましあい、フルマラソン完走を誓い合ったのです。




<2015年3月>


横浜マラソン2週間前になると、もう疲労をためるような練習はしなくなります。

もっぱら調整ラン。







仲間と軽めの練習に徹しました。




そして迎えた3月15日。


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全然思うような走りができず、後半はつった足を引きずりながらでしたが、完走できました。


こんなに泣いたのは人生でなかったし、これからも恐らくないでしょう。。

それだけ、この1年間は本当に僕の人生で最も濃い1年でした。


こんな経験はもう絶対にないだろうと思うと、ちょっと残念になりますね。



早く次の目標を立てて、また挑戦してやろうと思ってます!



なんのオチもありませんが・・・この1年間を思い出しながら、ただ書いてみました。。。