第21回 「Here Today」(1982)/Paul McCartney | 柑橘スローライフ

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1980年12月8日(日本時間9日)、ジョン・レノンは狂信者の凶弾に倒れた。
かつての盟友ポール・マッカートニーは、ショックのあまり、
その後の音楽活動が滞り、ジョンへの追悼曲もずっと出さないままであった。

2年後の1982年、そんなポールがようやく曲を作る。
アルバム「Tug Of War(タッグ・オブ・ウォー)」に収録された「Here Today(ヒア・トゥデイ)」
ポールの、ジョンへの切々とした思いがこもった一曲である。

この2年間という月日の沈黙は、逆にポールのジョンに対する強い思いを感じさせる。
ごくごく近しい人間の死に対して、すぐに曲にしたり、詩にしたりすることへの抵抗。
何かそんな名状し難い感情があったのではと思う。

ビートルズ解散後、軽音楽史上最高の作曲家チームと言われた「レノン=マッカートニー」は、
お互いを批判し、様々な法廷問題なども抱え込み、関係は最悪の状態になってしまう。
しかし、そんな中でも二人の深い心の内は、お互いを思い合うものであった。

ビートルズ解散の責任はポールにあると評論家やマスコミが批判した時、
「ポールのことを批判する奴は許さない。ポールを批判していいのは僕だけだ」
ジョンは怒りを露わにし、ポールをかばった。ポールもジョンを回想して言う。
「あの小さな部屋に座って一緒に曲を書いたのは、他の誰でもなく、僕とジョンなんだ。
 すべてわかったような顔をしてる連中じゃない。僕だったんだ。
 僕のほうがよくわかってるに決まってる。彼と一緒にその部屋にいたのは僕なんだから」

ファンの間でも、ジョン派、ポール派に分かれて、「どちらがスゴイか」といった類のことが
よく議論されるが、あまりそうしたことに意味はないだろう。
「どちらが」ではなく、二人それぞれの「スゴイ」点を理解することにこそ意味がある。
なぜなら、天才的資質を持つが個性の違う二人が共同で創作をしたからこそ、
多様な音楽性をはじめて構築でき、ビートルズをただのロックスター以上の存在にできたからだ。
しかし、ブラックとピカソ、ゴッホとゴーギャン、あるいは長嶋と王のように、
天才同士の蜜月というのは、必ずしも長くはない(理由は様々だが)。
ビートルズが僅か8年という活動期間でしかなかったというのも、今考えると驚きだ。
普通のキャリアなら、8年ではまだ駆け出しだからだ。

ジョンの死後、ポールはジョンの幻影を追い求めるがごとく、パートナー探しの旅に出る。
スティービー・ワンダー、マイケル・ジャクソン、エルビス・コステロなどなど.....
しかし、結論は.....「最高のパートナーはジョンだけ」ということだったようだ。

ジョンが死ぬ直前、ラジオ番組のインタビューに答え、それが死後になって放送されたという。
「僕は人生で2回、すばらしい選択をした。ポールとヨーコだ。それはとてもよい選択だった」
これを聞いた時のポールの心中はいかばかりだっただろうか。



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