ザ・フィッシュレストラン
風見魚
風見鶏ならぬ、魚をかたどった風向計。
風見鶏は、主にヨーロッパの教会堂や住宅の屋根の上に取り付けられている。また、風向計としてよりも魔除けとして取り付けられることが多い。

風向を見るための「風見鶏」の起源ははっきりしないが、雄鳥が悪魔を追い払うためとも聖ペテロの標識であるからともいわれている。
教皇ニコラスI世が教会に風見鶏をつけることを法令で決めたため、9世紀頃から教会を中心に普及し始めた。
今でも西洋の古い教会などの建物の突端には、風見鶏など何らかの風向を示すものがついていることが多い。
例えば、スペインのセビーリャ大聖堂(世界遺産)の高さ約98 mの鐘楼の突端には回転して風向を示すブロンズの女神像があり、その鐘楼はヒラルダ(風見)の塔と呼ばれている。

風見鶏は屋根の上部などに取り付けられるもので、下部には東西南北の四方位が十字型で示されており、その十字の中心部分に取り付けられた鶏の向く方向によって風向を知ることができる。

また、警戒心が強い雄鳥の習性から魔除けの意味あるいはキリスト教の教勢の発展といった意味も持っているといわれる。
なお、装飾部分については、馬をかたどった「風見馬」など、鶏以外の動物や乗り物などをかたどったものもある。

風見鶏という言葉は、元々は「風に向かって雄々しく立つ」という肯定的な意味で用いられていた。
しかし戦後の日本政界で中曽根康弘が「風向き次第で態度がすぐ変わる風見鶏」と揶揄されたため、日和見主義という意味合いを持つようになった。

その後は中曽根に限らず、態度がすぐ変わる政治家が批判的に「風見鶏」と呼ばれることが多い。

例として2012年12月23日の産経新聞では、ジョン・ケリーが米国国務長官に指名された際の記事に、「民主党重鎮 “風見鶏”批判も」との見出しがある。

マーケットプレイスザ・フィッシュレストラン
theFish_ザ・フィッシュ
金谷港にある複合商業施設ザフィッシュです。

2021年11月17日より、レストランメニューリニューアル
モンドセレクション受賞のバウムクーヘン工房「見波亭(みなみてい)」
東京湾と富士山を望む、180度のオーシャンビューで、新鮮なシーフードが楽しめるレストラン。

近くの漁港で揚がった新鮮な魚介類の美味しさをそのまま頂けるサービスが売り。 東京湾の海の幸をふんだんに使ったメニューがいっぱいあります。

↑ アジフライ刺身定食 フレンチトースト ↓
アジフライ(あじフライ、鰺フライ、鯵フライ)
アジを食材としたフライ料理(パン粉を衣にした揚げ物)である。

英語では“Aji Fry”などと表記される。明治以降の日本で西洋料理に基づいて独自に発達した洋食のひとつであり、その後はほとんど和食と位置付けられることもあるほど、おかず、おやつ、酒の肴などとして広く普及している。

調理はアジにパン粉などを付けて油で揚げるのが基本で、細かい工程では様々な工夫がなされる。
サクサクとした衣とふんわりとしたアジが作り出す食感が特徴で、かける調味料によって異なる味を楽しむことも可能である。

また、栄養面では低カロリー・低糖質でエイコサペンタエン酸(EPA) やドコサヘキサエン酸(DHA) が豊富であるとされることがある。
日本では、家庭料理だけでなく中食・外食としても普及している。このほか、町おこしやキャラクターの題材にされたり、俳句・エッセイ・漫画・ドラマなどの作品内でも取り上げられたりするなど、日本文化の中で親しまれている料理である。

発祥
日本では、縄文時代からアジが食されていたと考えられており、平安時代には行事食として用いられるなど、美味しい魚として知られていた。

一方、江戸時代の日本では、揚げ物の調理方法の一つとして天ぷらが定着しており、日本の天ぷらには、欧米の揚げ物で一般的な少量の油を使用する揚げ方(シャロウ・ファット・フライング)とは異なり、大量の油を使用する揚げ方(ディープ・ファット・フライング)を用いるという特徴があった。

明治時代初期になるとパン粉が伝来し、コートレットやクロケットといった、パン粉をまぶして熱を通す西洋料理が日本に持ち込まれる。
これに、天ぷらで培った日本のディープ・ファット・フライングの技術が合わさり、パン粉を衣にして大量の油で揚げる日本のフライ調理が確立した。

こうして生まれたフライ調理によって、コートレットはカツレツ、クロケットはコロッケという日本独自の洋食として完成したが、一方でフライ調理は西洋料理を離れて魚にも一般的に使われるようになり、1872年(明治5年)に刊行された最初期の西洋料理レシピ本である『西洋料理通』や『西洋料理指南』には、魚のフライが掲載された。

アジにもフライ調理が使われるようになり、明治初期のうちにすでにアジフライが存在していたという。

アジフライの普及
アジフライの調理に必要なパン粉は、1907年(明治40年)に東京・京橋のパン屋によってパンの粉砕機が開発されて機械製造が可能となり、1916年(大正5年)に日本で初めて商品化された。

第二次世界大戦後の食糧難に際して電気パンの技術が転用されてパン粉の大規模生産ができるようになり、大量処理に適したフライ調理は集団給食にも取り入れられた。
学校給食の変遷を伝える学校給食歴史館では、学校給食法制定翌年の1955年(昭和30年)の学校給食サンプルとしてアジフライを展示している。

その後、アジフライは日本国内で広く普及し、おかずだけでなく、おやつ、酒の肴などとして親しまれ、さらには離乳食完了期(1歳から1歳半)のレシピとしても挙げられている。
起源は洋食にあるが、食・生活史研究家の阿古真理は、ほとんど和食と化したと位置付けている。また、マルハニチロが2018年(平成30年)に行ったアンケートでは、『お弁当のおかずにしたい魚介料理』の3位にランクインした。

日本文化の中で
長崎県松浦市は「アジフライの聖地」として町おこしに取り組んでいる。同市はアジの水揚げ量が日本一であることから、2019年にアジフライの聖地宣言を行い「アジフライの聖地」を商標登録した。
アジフライマップの作製やグッズ展開もしているほか、2021年3月には市内の道の駅などに特産品の阿翁石で作られたアジフライのモニュメントを設置している。

アジフライを用いた一連の活動によって観光客が急増し、長崎県の観光振興に貢献したとして松浦市は「県ツーリズム・アワード」で最高のグランプリを受賞した。
2021年10月には国土交通省が主催する「地域づくり表彰」において、地域ならでは素材に磨きをかけ、多くの関係者を巻き込み情報発信した試みとして評価され地域づくり表彰審査会特別賞を受賞した。
また、アジフライは同市のふるさと納税の返礼品にもなっている。2022年3月には同市の松浦魚市場に、パン粉を付けて冷凍された状態のアジフライが購入できる自動販売機が設置された。

おてしょ皿
直径11センチ以内の小皿を おてしょ皿(手塩皿)といいます
おてしょ皿は、昔も今も大変人気で愛されています。とりどりの形と絵柄は、食卓の癒しの器と言われるほど。
手頃なサイズでコレクターも多く、そのこだわりには脱帽です。
食卓では小さな存在ですが、人の心を大きく満たし豊かにする逸品です。
始まりは室町期 貴族の器として使われました
京都・朝廷の食卓で、手元に塩を盛る器として使われたということから、手塩皿(おてしょ皿)と名付けられたと言われています。
1616年(江戸時代初期)の有田焼創業以来、様々な器が世に送り出されましたが、4寸(約11センチ)ほどの大きさに形や絵付け・装飾など、技術の粋を凝らしたおてしょ皿は、貴族や大名たちに愛されました。
小さいけれど 使い道は自由自在
醤油などの調味料や薬味入れとしてはもちろん、いろいろな形を集めて前菜の器として、ジャムやバター皿、アイスやフルーツのプチデザート皿として、また箸置きやスプーンレストとしてなど、食卓の名脇役として、使い道は自由自在です。
また食卓以外でも、リングやピアスなどのアクセサリーやちょっとした小物を置くためのトレイなど、生活のあらゆるシーンで楽しくお使いいただけます。


