黄昏4月23日オープン
近隣に「居酒屋・バー黄昏」が開店する。

 


 

↑ 居酒屋・バー黄昏 改装前の町中華 ↓

 

元「千島軒」と言う町中華屋さんだった場所である。
4年程前に、店主の病死によって廃業となり空き家になりました。

 

店主が病死する2年前に女将さんも病死、二人いた息子は其れより以前に矢張り病死していました。


 

昭和45年(1970年)に開業した町中華屋さんでしたが、地元民のたまり場となりメニューの数が増え「居酒屋」と言った方が相応しい店に成り繁盛しました。

 

↑ 町中華屋さんだが暖簾はラーメン ↓

 

令和7年4月、4年振りに、亡くなった店主の孫が「居酒屋・バー黄昏」としてオープンする運びに成りました。


 

町中華
地域に根ざした大衆的な中華料理店のこと。大衆中華料理店若しくは中華屋とも呼ばれる。



閑散とした住宅街や田舎町にぽつんとした佇まいで何十年も続いていたり、町中華を取り上げたグルメ番組が人気であったりと、根強いファンの多いビジネスである。


 

「町中華」としての明確な定義はなく、強いていえば、「昔から続いている町の中華料理店」「個人営業やのれん分けでやっている店」であるが、店によっても味は異なる。


 

「町中華探検隊」隊長でライターの北尾トロは、メニューや見た目などから、町中華を定義しようとしていたが、すぐ例外になるようなお店が現れることから「町中華は定義できない」という境地に至っている。


 

↑ 開店告知 ↓

 

著書では「昭和以前に開業」「1000円以内で満腹」「多様なメニュー」「マニュアルがない」「店主が個性的」を挙げている。


 

また、老舗の町中華が生き残る要因として「味」「地元の常連客の存在」「家賃や人件費がかからないこと」「接客マニュアルがないこと」を挙げている。



居酒屋
酒類とそれに伴う料理を提供する飲食店で、日本式の飲み屋である。

 

↑ 千島軒のラーメンとチャーハン ↓

 


 

バーやパブなどは洋風の店舗で洋酒を中心に提供しているのに対し、居酒屋は和風でビールやチューハイ、日本酒などを提供する店が多く、バーやパブに比べると料理の種類や量も多い。


 

装飾や提供する飲食類は和風のことが多いが、あえて洋風にすることにより他店との差別化を図る店もある。


 

また、新鮮な魚介類を提供していることを強調するため店内に活魚用の生け簀を作る店や、カウンターを作って目の前で調理をしてみせる店など、様々な工夫を凝らした店が増え多様化している。


 

↑ 健在だったころの女将さんと居酒屋的な料理 ↓

 

チェーン店においてはセントラルキッチンにおいて調理済みの料理を提供する店が多かったが、近年は「店内調理」を前面に出してセールスポイントとするチェーンも少なくない。


 

日本の居酒屋
『古事記』に登場する逸話や歌から、8世紀初頭までには定着していた。


 

↑ 千島軒の日替わりメニュー ↓

 

「造酒司(みきのつかさ)」と呼ばれる役所の管轄の下、醸酒料としての米が租税として徴収された733年の記録が残っている。


 

97年に書かれた『続日本紀』には、761年に葦原王が居酒屋で酔って殺人事件を起こした記録が残っている。ただしこの時は中国大陸の言葉である「酒肆(しゅし)」と書かれていた。

 

↑ 千島軒の日替わりメニュー ↓

 

奈良時代になると貨幣経済も始まり、仏教寺院などで酒の醸造と提供が始まり、神社関連も醸造を行うようになる。


 

やがて平安時代から室町時代にかけて民間業者が醸造を行うようになり「醸造屋」と呼ばれるようになった。


 

↑ 千島軒の日替わりメニューと店主 ↓

 

「醸造屋」は当初、貴族階級の富裕向けであり、庶民の飲酒行為は、811年の規制法等によって、祭り以外の飲酒が規制されていた。醸造屋が全国に波及するのは、11世紀頃と言われている。


 

鎌倉時代になると貨幣経済が都市部で本格化し、武士階級に酒を提供する醸造屋が現れた。


 

↑ マグロのブツや刺身も ↓

 

これらは「好色家」と呼ばれ、酒類の提供だけでなく売春業も行っていたようである。酒を巡ってのトラブルも多発したため、1252年(建長4年)の10月には、酒壺の破棄指令が出たほどである。


 

その後、鎌倉時代の末期になると、ようやく商人階級に酒類を提供する醸造屋が登場する。

 

室町時代になると醸造屋は一定の権力を持ち、幕府から課税対象とみなされるようになる。この頃の醸造屋は同時に金貸しをやっており、庶民に対して積極的に金を貸すと同時に、酒類も提供していた。

 

↑ 酒類は日本酒・ビール・酎ハイ・ホッピー。中国酒とウイスキーは無かった ↓


また室町時代から、醸造と提供の分離が始まり、酒の提供に特化した「酒屋」や茶も出す「茶屋」が登場するようになる。

その後戦国時代になると各大名が領内の経済強化のために酒屋や茶屋を積極的に保護した。都市部や街道沿いには庶民相手の居酒屋が建つようになる。


 

↑ 新旧カウンター席 ↓

 

 

居酒屋の本格的な発展は江戸時代頃になる。酒の量り売りをしていた酒屋(酒販店)で、その場で酒を飲ませるようになり、次第に簡単な肴も提供するようになった。

 

酒屋で飲む行為を「居続けて飲む」ことから「居酒」(いざけ)と称し、そのサービスを行う酒屋は売るだけの酒屋と差別化するために「居酒致し候」の貼紙を店頭に出していた。

 



現在でもこうした酒販店に付属する形式の立ち飲みスタンドは残存しており、近隣住民の気軽な社交場として機能している例も見られる。

他にも煮売屋が酒を置くようになったことに始るもの、また屋台から発展したものなどの別系統もある。


 

↑ 旧小上がりがカウンダ―席に ↓

 

 

江戸の男女比率は男性へ極端に偏っており、一人住まいの独身男性が多かったことから酒が飲めて簡便に食事も取れる居酒屋は大いに広まっていった。

一方、農村部は最後まで居酒屋の普及が遅れ、18世紀後半まで待たなくてはならなかった。

 


 

↑ 会計を分かり易くするため食器と瓶の数で計算する ↓

 

明治時代になると文明開化の名の下、ビールなど洋酒が流入し、1899年には東京の銀座に富裕層向けの「恵比寿ビアホール」が設立された。

その後、カフェやキャバレー等の洋風居酒屋が相次いで流入した。1939年にはビール生産量が太平洋戦争前のピークを迎えている。


 

太平洋戦争末期の1944年、『決戦非常措置要綱』により多くの飲食店やカフェーが閉店に追い込まれ、一方で1人ビール1本または日本酒1合に限る公営の国民居酒屋が登場した。

戦後の1960年を境に日本酒と洋酒の消費量が逆転することになった。

 

 

↑ 開店前夜  当日 ↓

 

 

↑ 雨となってしまった ↓

 

 

↑ 祝花 ↓

 

お祝いの意味をこめて贈る花束や花輪を指して言う語。

 

 

スタンド花
幅が60~100cm、高さが160~200cmくらいで、一般的なアレンジメントと比べて大きく人目をひきます。