越後湯沢
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」
ノーベル賞受賞作家・川端康成による名作『雪国』の冒頭の一節である。


 

「雪国」のモデルは湯沢温泉
湯沢町(ゆざわまち)は、新潟県南魚沼郡の町。雪国観光圏を構成する自治体の一つ。

1955年に湯沢村・神立村・土樽村・三俣村・三国村が合併して発足した。


 

2018年策定のブランドスローガンは「君と一緒に暮らす町」で、観光立町を宣言している。


 

秋田県湯沢市と区別するため越後湯沢(えちごゆざわ)と呼ばれる。南魚沼産コシヒカリや日本酒(地酒)の産地の一つ。


 

新潟県の最南端に位置し、関東地方(首都圏)への玄関口として国道17号、関越自動車道、上越線および上越新幹線といった交通インフラが集中している。そのため首都圏へ通勤する住民もいる。


 

上信越高原国立公園と魚沼連峰県立自然公園を構成している自治体の一つで、日本百名山の苗場山や谷川岳を中心としてアウトドアレジャーや登山のメッカとなっている。


 

日本海側気候に属する豪雪地帯で冬には多量の降雪があり、気象条件を生かしてウィンタースポーツを楽しめるスノーリゾートが多く存在する。


 

鎌倉時代より続く温泉地である越後湯沢温泉があり、川端康成の小説『雪国』のモデルとなった。

 

戦国時代には関東へ続く三国峠の守りの要衝として荒戸城や浅貝寄居城が築かれた。近世には三国街道の宿場町として湯沢宿(上宿・下宿)、三俣宿、二居宿、浅貝宿が存在した。

 



パラノミック湯沢

岩原スキー場まで徒歩1分なので、いつでも気の向いた時にスキーが楽しめます。
スキー場中腹に立地している為、マンション入り口からは湯沢町も一望出来ます。

 

昭和の終わり頃から平成の初期(バブル時代前後)にかけて、複数のスキー場の新規開業や、58棟のリゾートマンションの建設があった。


 

その様子を取り上げて「東京都湯沢町」と題した連載が地元紙の新潟日報紙上で組まれた。

この連載は日本新聞協会賞を受賞し、単行本になって発行された。



その後、バブル崩壊や平成不況に伴うスキーブームの終焉により、スキー客が減少したことで、リゾートマンションは売りに出されて価格は暴落し、スキー場も閉鎖が相次ぐなど湯沢町の経済や都市計画(まちづくり)に大きな影響を与えた。


 

これらの一連の出来事から、リゾート開発や集落形成の一モデルとしてよく取り上げられる。


 

1999年以降は毎年夏に苗場で開催されるフジロックフェスティバルが人気を集めている。


 

2011年に発生した東日本大震災での被害は少なく、町が積極的に被災者の受け入れをしたことが高く評価された。


 

2020年以降の新型コロナウイルス感染症の流行下においては、リモートワーク・ワーケーションの浸透や、行政による補助制度の後押しなどにより、移住者が増えている。
 

 

ガーラスノーリゾート/ガーラ湯沢駅
他の新幹線専用駅とは違った特徴があります。それは、冬季のスキーシーズン中にしか新幹線が停まらないこと。全国の新幹線の中でも唯一の“臨時駅”なのです。

 

 

新幹線の駅舎がスキーセンターとなっており、レンタルも充実しているので、手ぶらで楽しめるスキー場。



 

駅を降りると、すぐ前にゴンドラがあり、スキー場へと直行できるのです。JR東日本自社のスキー場だけあって、毎冬、連日の賑わいを見せています。