カイロ
日本語でよく知られる都市名のカイロは、英語名のCairoに由来しており、現地語であるアラビア語ではアル・カーヒラ(al-Qāhira、現代エジプト方言ではエル・カーヘラ)という。

しかし、現在でもミスル(Miṣr、現代エジプト方言ではマスル [mɑsˤɾ]。元々は「エジプト」を意味する呼称)という通称がよく用いられる。

カイロの中心都市はナイル川の右岸、東側に位置する。ナイルをはさんで対岸の西郊には、ピラミッドで有名なギーザの町がある。町の南は古代エジプトの中心都市の一つ、メンフィスである。

↑ カイロ考古学博物館前 ↓
古代
古代エジプトからローマ属州時代は、ヘリオポリスが近郊にあったが、カイロ自体はナイルデルタの湿地帯に小規模の集落が点在するだけの未開地だった。
定住者が少なかったこともあって、イスラム帝国侵攻前の時代の遺跡はほとんど見つかっていない。

ナイル川対岸の西側のギーザ台地には三大ピラミッドが築かれているが、そのギーザも古王国時代の終焉とともにピラミッド信仰も衰退していったため、エジプト新王国時代には廃墟となっていた。

アケメネス朝の時代に現在のバビロン城のあるところに砦が築かれたとの説(ヨセフス)もあるが、ローマ帝国のアウグストゥスの時代に3つの軍団の司令部が置かれた 。
ローマの支配時代を通じて、バビロン城に軍団が駐屯し、現在でも遺跡が残っている。
エジプトのヘルメット事情
日本では、1975年に政令指定道路区間でヘルメットが義務化され、1978年すべての道路で原付以外の義務化、1986年に原付も義務化されました。

中東では80%以上の国は、ヘルメットをかぶる法律がないようです。
アジア、ヨーロッパでも、50%ほどの国しか規制がないようです。
↑ 親子三人乗りでノーヘル 大人三人 ↓
アメリカは別の資料では州によって異なり、60%は法律で規制されています。
世界ではヘルメットをかぶるのが必ずしも常識ではないことに驚きました。
イスラム帝国時代
イスラム帝国の将軍アムル・イブン・アル=アースは、639年にエジプトへの侵攻を開始して東ローマ帝国の駐留軍を破り、643年にローマ軍の駐屯都市バビュロンの近くにアラブによるエジプト支配の拠点として軍営都市を築き、「フスタート」の名を与えた。

フスタートは現在カイロ市内の一部となっている地区である。初代エジプト総督となったアムルはフスタートの建設を進めるとともに、エジプトに灌漑施設を建設するなど支配の構築に努め、フスタートはその後、ファーティマ朝時代まで一貫してエジプトの首府の地位を保つこととなった。

フスタートはその後、ウマイヤ朝、アッバース朝のエジプト州治所となった。7世紀のアッバース朝時代にはフスタートの北部にアスカルという新しい町を築き、ここがアッバース朝のエジプト支配の拠点となった。

9世紀に入るとアッバース朝は弱体化が顕著になり、868年にはトゥールーン朝が事実上独立してフスタートに首都を置いた。
トゥールーン朝始祖のアフマド・イブン=トゥールーンは870年にはアスカルのさらに北にカターイーの町を築き、イブン=トゥールーン・モスクを建設した。

その後トゥールーン朝は弱体化して905年には再びアッバース朝に征服されたものの、既にアッバース朝に昔日の勢いはなく、935年には再び半独立のイフシード朝の首都となった。





