ナツメヤシと瓦礫の町
原産地はアラビア半島で、現在はアフガニスタンからモロッコ辺りまでの中東、北アフリカの乾燥地帯で生産されている。

他のヤシ科の植物が乾燥地帯に適さないのに対し、なつめやしだけは、砂漠地帯で生育する事が出来る。



 

メソポタミアや古代エジプトでは紀元前6千年紀には既にナツメヤシの栽培が行われていたと考えられており、またアラビア東部では紀元前4千年紀に栽培されていたことを示す考古学的証拠も存在する。

 

例えば、ウルの遺跡(紀元前4500年代 − 紀元前400年代)からは、ナツメヤシの種が出土している。

シュメールでは「農民の木」とも呼ばれ、ハンムラビ法典にもナツメヤシの果樹園に関する条文がある。

 

アッシリアの王宮建築の石材に刻まれたレリーフに、ナツメヤシの人工授粉と考えられる場面が刻まれていることはよく知られている。


ナツメヤシはギルガメシュ叙事詩やクルアーンにも頻繁に登場し、聖書の「生命の樹」のモデルはナツメヤシであると言われる。

 

 

紀元前1000年ごろの古代ヘブライ語の文献、古代エジプトのパピルスにもナツメヤシは登場する。

 

クルアーン第19章「マルヤム」には、マルヤム(聖母マリア)がナツメヤシの木の下でイーサー(イエス)を産み落としたという記述がある。



アラブ人の伝承では大天使ジブリール(ガブリエル)が楽園でアダムに「汝と同じ物質より創造されたこの木の実を食べよ」と教えたとされる。

またムスリムの間では、ナツメヤシの実は預言者ムハンマドが好んだ食べ物の一つであると広く信じられている。

なお、日本の文献において、聖書やヨーロッパの文献に登場するナツメヤシは、シュロ以外のヤシ科の植物が一般的ではなかった日本で紹介された時に、しばしば「シュロ」や「棕櫚」と誤訳されている。



2005年、イスラエルの死海近くにあるマサダ城址から出土したナツメヤシの種子は、炭素年代測定によって約2000年前のものであることがわかった。

少量の水とホルモン処理によってこの種子の一つが発芽に成功し、実生の雄株が古代イスラエル時代のナツメヤシの唯一の生きた標本だと考えられている。



このナツメヤシの木はメトセラと名付けられ、ネゲブ砂漠のキブツに植えられた。

ナツメヤシの木はアラブ世界の文化における重要なアイテムであるため、2019年と2022年に「ナツメヤシの知識、技能、伝統と慣習」はUNESCOの無形文化遺産に登録された。



果実(デーツ)
ナツメヤシの果実はデーツとよばれ、中東地域のあらゆる文化を象徴する果実であると同時に、3分の2もの糖質を含む主食として多くの人々が砂漠で暮らすことを可能とし、歴史の流れを変えた。



 

エジプトでは1500万本ものナツメヤシが栽培され、毎年100万トン以上のデーツを生産しており、その内から輸出されているものは3%にすぎない。


 

デーツの2004年の全世界での生産量は670万トンに達し、主な生産国はエジプト(16.2%)、イラン(13%)、サウジアラビア(12.3%)などである。


 

瓦礫の町
カイロのごみ処理の方法は独特だ。人口二千万人を抱える世界有数の大都市ながら、ごみ収集の行政サービスはないに等しく、家庭では分別すらしない。


 

↑ 地震後にあらず、放置車両や瓦礫 ↓

 

ごちゃ混ぜになったごみを集め、リサイクルを担うのはキリスト教の一派コプト教徒が多く暮らす通称「ごみの町」だ。


 

階級社会であるエジプトでは、掃除をするのは、階級の下のものという、固定概念があり、誰も率先して公共の場所を掃除したがらない。


 

建物の解体や自然災害などによって発生する瓦礫も途中で処理されずに放棄されたままである。