象牙製のクフ王の像
アビドスで発見された、象牙製のクフの像はたった7.2cm(3インチ)の小さなもので、ギザで1番大きなピラミッドを建てたファラオですが、像はこの小さなもののみしか今の所は発見されていません。



 

そして今までは壁際に展示されていて見る事ができなかった、背面からも撮影。
これは、現在発見されている唯一のクフ王像なので見逃さないように。

クフ(Khufu)
古代エジプトの王。古王国前半(紀元前26世紀)のエジプト第4王朝を統治した。クフは第4王朝の第2代王であり、前王のスネフェルから王位を継承した。
 

一般的に世界七不思議の一つ、ギザの大ピラミッドを建造させた人物であるとされているが、彼の治世に関する記録は少ない。




クフの姿を確認することができる完全な状態で残った肖像は、1903年にアビュドスにある後世の神殿遺跡から発見された3インチの大きさの象牙製の像が唯一の例である。

他のレリーフと彫像は断片しか見つかっておらず、彼が建てた建造物の多くは失われている。

 

ギーザにある彼のネクロポリスから発見された碑文と後世作られた文学作品から得られる情報がクフについて知られている全てである。



盗掘
遺跡を掘り探し出土品を売り捌くことで生計を立てる。
実際には貴重な文化財を破壊する行為であり、特に墓などの遺跡の本来の状態、被葬者や副葬品の配置からわかる当時のものの考え方など形のない考古学的に重要な情報を破壊してしまう行為である。


 

このことが盗掘のもっとも許しがたい行為と考えられ、根本的な対策として、盗掘者の生計をたてさせている趣味的な古美術品の購入者は、盗掘品を購入するのをやめるべきであり、また、盗掘者を生み出す土壌やその国の経済状態などの改善が図られないかぎり、問題は解決しない。


 

20世紀初頭のエジプトにおいてイギリスやナチス政権下のドイツが盛んに遺跡の発掘調査を行って、出土品を持ち去ったことについて、現地エジプトの国民から見れば、自国の貴重な文化財を持ち帰られたことから盗掘であると判断することもできる。


また、色々な正の面があったとしても現代の学術的で合法的な発掘作業というものも実際には墓荒しと同類であるという見方もできる。


死者が万能薬として日の目を見る
遺体をミイラにすることは古代より行われており、特に古代エジプトのものが有名です。

 

死後の再生を願ったもので、神聖な儀式に則って手間隙をかけた工程を経て作られていました。中でも王や貴族のものなどは、3カ月ほどかけて作られていたといいます。

また、エジプト神話においては、冥界の神アヌビスがオシリスの最古のミイラを作ったため、ミイラ作りの神ともされています。


 

↑ 正規の入り口 盗掘用の入り口 ↓

 

そんなミイラですが、かつては「万能薬」としてエジプトから世界中に輸出されていたという事実をご存じでしょうか? 

ミイラとなった人物も「死後の再生」を願われているはずが、まさか自分が生薬として世界中の人々に求められるとは思ってもみなかったでしょう。



そもそもミイラが薬とされてしまったことには、ミイラの盗掘が関係しています。キリスト教も流入するようになった3世紀頃のエジプトでは、ピラミッドや陵墓地帯としても知られるルクソールの王家の谷などで、すでに盗掘が始まっていました。

盗掘をする者は副葬品をはじめとした財宝を主に狙い、それと合わせて遺体そのものも盗んでいたのです。

こうして盗み出されたミイラは、中東や北アフリカ、そして交易の果てにヨーロッパへと持ち出されるようになります。


①正規の入り口 ②盗掘用入り口(現在観光客用の入り口に) 


盗み出されたミイラが「薬」として取引されたことも13世紀頃の記録として残っており、「農民がアルバイトでミイラを掘り出している」と記されています。

さらにミイラは丸々一体、または分割された状態で、カイロやアレクサンドリアの港からヨーロッパに持ち込まれたことまで記録されていました。

ヨーロッパでは「ミイラが万病に効果がある」と信じられ、上流階級御用達の高級な薬となりました。


日本人もミイラを服用した
「ミイラが薬になる」という話はヨーロッパだけでなく、シルクロードを通って中国に達し、やがて日本にも入ってくることになりました。

それは江戸時代中期以降のこと。


 

↑ イアフメス・メリトアモンの棺 ↓

 

メリトアモンと言う名前の女性はたくさんいるのですが、この方は第18王朝のアモンホテプ1世の王妃だった方です。 
イアフメス・メリトアモンの棺はデルエルバハリのTT358で発見されました。

 

当時は鎖国の時代ではありましたが、特定の地域では海外との貿易を行っていました。こうした背景があり、西洋医学も盛んになっていくのですが、伝統的な漢方と融合し、日本では独自の医学の発展を遂げます。

 

その過程で海外から入ってきたさまざまな薬の中の一つが、ミイラだったのです。


当時の本草学者・貝原益軒が記した『大和本草』という書物には、さまざまな植物や鉱物などの効能がまとめられており、その中の一つとして木乃伊(ミイラ)についても記されています。


 

その効能も万能薬のようなもので、塗れば骨折や打撲に効き、服用すれば貧血、頭痛、胸焼けなどに効く。


 

さらには虫歯や虫刺されまで、ありとあらゆるものに使えたとされました。
実はミイラには腐敗を防ぐために防腐剤が塗られており、その主成分はプロポリスでした。

プロポリスは天然の抗生物質とも呼ばれるほど抗菌作用も強く、滋養強壮にも効果があります。

先に紹介したヨーロッパの例とは異なり、日本では迷信としてではなく、実際に効果があったためにミイラを輸入して服用していたのです。




日本の墓荒らし
1060年、推古天皇陵山田高塚古墳が盗掘された。
1063年、成務天皇陵佐紀石塚山古墳が盗掘された。
1235年3月20日と21日に、天武天皇と持統天皇が納めれた野口王墓に盗掘があったことが、藤原定家の日記『明月記』に記載されている。
1844年と1848年に、再び佐紀石塚山古墳で盗掘が行われた。
1915年、日葉酢媛命陵佐紀陵山古墳が盗掘された。