エジプト考古学博物 カフラー王
カフラー(Khafra、カフレー、ケフレン、チェフレンとも)は、古代エジプト人の王(ファラオ)。
古王国時代の第4王朝を統治した。クフの息子であり、ジェドエフラーの跡を継いで王となった。

古代の歴史家・マネトによると、カフラーの跡はバカまたはバウエフラー(ギリシャ語式ではビケリス)王が王位を継いだ。

しかし、考古学的史料では、メンカウラー王が王位を継いだとされる。カフラーはギーザで2番目に大きいカフラー王のピラミッドの建造者である。

現代のエジプト学の見解では、その威容を残す大スフィンクスは紀元前2500年頃、カフラーのために建てられた。

ヘロドトスによる歴史的記録では、クフがエジプトの神殿を封鎖した後、その封鎖を続けた残虐で異端的な支配者であったとされており、それ以外に、カフラーについて知られている事は少ない。

家族
カフラーは複数の妻を持ち、少なくとも12人の息子と3、4人の娘がいた。

王妃メルサンク3世
カワブとヘテプヘレス2世の息子であり、カフラーの姪に当たる。彼女はカフラーの息子ネベムアケト、ドゥアエヌラー、ニウセルラー、ケンテトゥカ及びシェプセトカウと名付けられた娘の母である。
王妃カメレルネブティ1世
メンカウラーと、彼の主たる妻であるカメレルネブティ2世の母である。

ヘケヌヘジェト
カフラーの妻。彼の息子セケムカラーの墓の記録で言及されている。

ペルセネト
墓の位置から考えて恐らくカフラーの妻。彼女はニカウラーの母である。

カフラーの他の子供たちも知られているが、母親は特定されていない。
他の息子にはアンクマラー、アクラー、イヌミン、イウヌラーがいる。またラケトラーとヘメトラーと名付けられた二人の娘が良く知られている。

治世
彼の在位期間について定説は無い。何人かの著者は前2558年-前2532年としている。
第4王朝は一般的に前2650年頃-前2480年頃に年代づけられている。

トリノ王名表の彼の在位年数が空白であり、マネトは66年という長すぎる数値を提示している。多くの学者はネクラー王子のマスタバ墓壁面に刻まれた銘に基づき、24年から26年の間であると考えている。

この銘は12回数えた年、という年次があるが王名不詳である。だが、ネクラーがカフラーの息子であることからカフラーの在位年表記であると想定されている。
カフラーの在位年を示す最も大きな数値は「第13年の出来事」であり、これはマスタバ G 7650の外装材の石の裏に書かれていた 。

第4王朝時代の畜牛頭数調査が隔年で行われていたとするならば、この数値は24-25年の在位期間を示す。


