アメンホテプ3世
古代エジプト第18王朝の第9代ファラオ(王)(在位:紀元前1386年 - 紀元前1349年、または紀元前1388年 - 紀元前1351年)。

 


 

即位名はネブマアトラー。「真実の主はラーなり」の意。正妻はティイ。子はアメンホテプ4世など。


 

トトメス3世、トトメス4世の時代を経て絶頂に達した王国を継承した。在位期間も長く、40年近くに及んだ。

 

 

アメン神を崇敬すること篤く、テーベにカルナックのアメン神殿と直結する分神殿としてルクソール神殿を建設している。このほか、同地に広大な自身の葬祭殿も建設している。


 

↑ アモンホテプ3世(左)と王妃ティイ(右) ↓

 

葬祭殿は後に後代の王たちによって破壊されたが、メムノンの巨像と呼ばれる彼の坐像は破壊されずに残り、現在でも形をとどめている。


 

アメンホテプ3世のミイラ
アメンホテプ3世のミイラは、1898年に王家の谷、KV35で発見された。元々はKV22号墓に埋葬されていたが、棺や棺の中の副葬品諸共に発見された。

ミイラの状態は普通だが、頭蓋が胴体から外れている。また、頭蓋骨の鑑定の結果、深刻な歯周病を患っていた可能性が指摘された。

また、棺の中から大量の花輪が発見されており、首に花輪を掛けた状態で埋葬されていたことが判明している。



ミイラの棺
別料金で特別展示のミイラ室は写真撮影禁止(ウェブサイトから拝借)。
 

 

后妃・子女

ティイ(Tiye) - 第一王妃。神官イウヤとチュウヤの娘、アイの妹。

ネフェルティティ- 大神官アイ(Ay)と妻テイ(Tiye)の娘。のちアクエンアテン王妃。古代エジプト三大美女の一人と言われ6人の娘を産んだ。

タドゥキパ(Tadukhipa) - ミタンニ王トゥシュラッタの王女。のちアクエンアテンと再婚。キヤ( KiYa)あるいはネフェルティティと同一人物とする説あり。

ギルヒパ(Gilukhipa)- ミタンニ王シュッタルナ2世(Shuttarna II)の王女。

スィトアムン(Sitamun)※- 実の娘(母はティイ)。

イシト(Iset)※- 実の娘(母はティイ)。





トトメス(Tuthmose)- 長男。プタハ大祭司。母はティイ。

アメンホテプ4世 - 別名アクエンアテン。母はティイ。

スメンクカーラー - 母は不明。アクエンアテンの息子とする説もあり。ネフェルネフェルアテンの次のファラオ。

スィトアムン(Sitamun)※ - 長女。母はティイ。父アメンホテプ3世の妃となる。

イシト(Iset)※ - 次女。母はティイ。父アメンホテプ3世の妃となる。

 

ヘヌトタネブ(Henuttaneb) - 三女。母はティイ。

ネベトイアハ(Nebetah))- 四女。母はティイ。

ベケトアテン(Beketaten)- 五女。母はティイ。


 

王家にはなぜ近親婚が多いのか?
有史以来、ほぼすべての文化圏で、きょうだい間、親子間の結婚はタブーとされてきた。だが、エジプト、インカ帝国時代のペルー、そして時代によっては中央アフリカ、メキシコ、タイなど多くの社会で、王族はこのタブーから除外されていた。
 

 

↑ アモンホテプ3世 ↓

 

きょうだい同士の結婚で生まれたツタンカーメン。彼らの身に起きたことから、近親婚がタブーとされる理由が推測できる。

きょうだいは、親と子と同じく、平均して50%の遺伝子を共有する。いとこ同士では12.5%だ。近親者同士の結婚では、子供が障害や病気の原因となる劣性遺伝子を二つ受け継ぐ確率が高くなる。

 

 

特に何世代にもわたって近親婚を重ねると、その確率がさらに高まり、病弱になったり、発達が遅れることがある。遺伝子の重複は悲劇を招きかねないというわけだ。

王族はこうした危険性に気づいても、あえて無視したようだ。古代史が専門のウォルター・シャイデル教授によると、近親婚には「王族を特別な存在にする」意味があった。



主に近親婚が行われていたのは、支配者が絶対的な権力を握り、その力に並ぶ者が神々以外にいない社会だ。神は神と結婚するのだから、王族もそうすべきだとの考え方である。

近親婚には、財産の散逸を防ぐメリットもあった。親族内で結婚すれば、富や権力を身内だけで分かち合える。そのため、古代エジプトやインカのような中央集権的な社会では、王の結婚相手は直系の親族に限られていた。

 

絶対王政時代の欧州では、縁戚関係にある他国の王族との結婚は、一族の権勢の維持と、国同士の同盟関係の強化につながった。

近親婚の弊害は、毎回出るわけではない。きょうだい同士の結婚であっても、病弱な子より、健康な子が生まれる確率のほうが高いのだ。しかも王族であれば、病弱だとしても、手厚い看護を受けられる。



王やファラオには、近親婚のリスクを回避する他の方法もあった。王は「ほぼ誰とでも望みの相手と」結婚できたと、古代史が専門のジョサイア・オーバー教授は説明する。


 

タイの王ラーマ5世(1873~1910年)には70人余りの子供がいた。異母の姉や妹との間にもうけた子もいたが、ほとんどは何十人もの側室に生ませた子だった。

 

 

このミイラマスクは王妃ティィの両親のマスクです。左チュウヤと右イウヤ。