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蕎麦
古くから利用されてきた穀類の一種。
現在、ソバの主な産地はロシア、中華人民共和国、ウクライナ、アメリカなどである。

 

ロシア 89万2,000t、中国 50万4,000t、ウクライナ 9万7,000tなどとなっており、現地で消費されたり輸出され、世界各地で様々に利用されている。




↑ そば畑 ↓


日本での栽培
高知県南国市にある縄文時代後期から弥生時代の生活痕跡が残る田村遺跡など各地の弥生遺跡からは、ソバ、イネの花粉が検出されており、伝来年代は明かではないが弥生時代から焼き畑農法で利用されていたと考えられている。


 

↑ そばの花と実 ↓

 

 

日本では救荒食物として5世紀から栽培されていた。
現代日本での主産地は北海道である。ソバの作付面積日本一は北海道幌加内町で約3200ha(2014年産)である。


 

北海道では年一作で、5〜7月に種播きをし8〜10月に収穫をする。つまり、北海道では夏ソバ、秋ソバの区別はない。



 

↑ 製粉されたそば粉で手打ちそば ↓

 

北海道産品種は夏ソバにも秋ソバにも利用できる品種群であり、北海道の夏型の牡丹そばを本州で夏播きした場合には秋ソバになる。


 

北海道でのソバ収穫が日本のソバ栽培における新ソバ(秋ソバ)収穫シーズン開始の合図とされる。


 

新そば
そば屋さんやお土産店で「新そば」と目にする機会が多いと思います。

「新そば」とは、今年の秋に収穫された「蕎麦の実」をいいます。
その「蕎麦の実」で作った日本そばも「新そば」と呼びます。



 

↑ 年越しそばの予約ポスターと麺打ち  ↓

 

年越し蕎麦
大晦日(12月31日)に縁起を担いで食べる蕎麦で、歳末の日本の風物詩ともなっている日本の文化であり風習である。


 

↑ この一枚で約20人前 ↓

 

地域による特色があり、呼び方も晦日蕎麦、大年そば、つごもり蕎麦、運蕎麦、また、大晦日蕎麦、年取り蕎麦、年切り蕎麦、縁切り蕎麦、寿命蕎麦、福蕎麦、思案蕎麦と多くある。


 

江戸時代には定着した日本の文化であり、ソバは他の麺類よりも切れやすいことから「今年一年の災厄を断ち切る」という意味で、大晦日の晩の年越し前に食べる蕎麦である(地域差もある)。



 

2012年現在、大晦日に年越しそばを食べる人は57.6パーセントにのぼり、風習として深く定着していることが窺える。

日本各地に見られる文化であり、地域の特色の現れた様々な形式のそばが存在する。


 

茹でる

蕎麦がくっつかないようにしながら1分30秒〜2分ほどゆでる。 

 

たっぷり氷水を入れたボウルに水気を切った蕎麦を入れ、流水でぬめりを落とすようにもみ洗いする。

 

 

もりそば
そば屋の品書きには通常、冷たいそばと温かいそばとが載っている。温かいそばの場合は、かけそば、天ぷらそば、玉子とじ、鴨(鳥)南蛮など、商品名がほぼ決まっているから、どのそば屋に入っても、客が戸惑うことはないだろう。

 

 

ところが、冷たいそばの場合は、話が少々ややこしくなることがある。冷たいそばを指す名称としては一般に、もりそば、ざるそば、せいろの三種類が用いられている。


 

このうち「ざるそば」とは笊に盛ったそば、「せいろ」とは蒸篭に盛ったそばと、名目で解釈すればわかりやすいし、実際、このふたつの名称の起こりは、使う食器の名目によるものである。


 

では「もりそば」はどうかというと、こちらは同じように片づけるわけにはいかない。たとえば、笊や蒸篭で出すのに「もり」と名付けている店があるからだ。



 

また、どちらも蒸篭に盛るのに、「もり」と「ざる」の二種類を区別している店もある。

もちろん、これらの名称に決まりがあるわけではないが、客の立場としてはやはり厄介だ。


 

そして「もり」という名称が生まれたのも、江戸人の戸惑いが始まりだったとされている。

 

江戸にそば屋の元祖とされる「けんどんそば」が登場したのは寛文年間(1661~73)。いうまでもなく当時は、そばといえば汁をつけて食べるそば切りしかなかった。

ところが、しばらく後、汁をそばにかけて冷やがけ(ぶっかけ)にして出す店が現れる。

 

これなら立ちながら食べられるし、店の側でも器がひとつで済むことからたちまち人気になった。

 

新材木町(現・中央区)にあった「信濃屋」というそば屋が元祖とされるが、年代は不明。



しかし、元禄5年(1692)の文献に、女はこのような食べ方をしてはいけないと書いてあることから、元禄初期にはかなり広まっていたようだ。

ただし「ぶっかけ」という言葉が現れるのは延享元年(1744)とされ、いつ頃からこの呼称があったのかはわからない。

しかし、ぶっかけが流行り始めると、商品名として従来の食べ方との区別がつかなくなる。

 

そこで、汁をつけて食べるそばを「もり」と呼んで、ぶっかけと区別するようになったらしい。

安永11年(1773)刊の句集に、ぶっかけともりを詠んだ句が出てくるのが初出とされるから、「もり」という名称は安永以前からあったとも考えられるという。



現在の「かけ」は、このぶっかけを略したものだが、こちらが登場するのは寛政6年(1794)で、かなり後になってのことである。

なお、「ざる」は「もり」よりも古く、元祖とされるのは深川洲崎にあった「伊勢屋」。


 

蒸篭や皿ではなく、竹の笊に盛って「ざる」と名乗り、評判になったという。享保20年(1753)の文献で、江戸の名物そばとして紹介されている。

ちなみに、海苔かけを称して「ざる」とするのは明治以降のことで、本来は、汁もこくのあるざる汁を用いた。


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