頭上運搬
ものの運び方には、持つ、担ぐ、背負うなど色々ありますが、原初的な方法で頭上運搬があります。
頭上運搬とは、頭の上に物を載せて運ぶことですが、ヒトが原初の頃から行われた理由として「複雑な運搬具を必要としないこと、野獣など外的に襲われたとき、荷物を放り出して逃げるに適していること」と推測できます。

今でも、この様にバザールや、アフリカやインドのマーケットではみられるようです。
この頭上運搬ですが、日本でもかつて各地に存在してました。
頭の上に壺を掲げた埴輪は出土されていますし、大原女は薪を頭に載せて京都に運んでいました。
沖縄では1980年代半ばまでごく日常でみられた光景のようです。
頭の上に載せた物が傾いたり、こぼれないように安定して保つには、身体の方をしなやかに動かさなければいけません。
骨盤帯や体幹の安定はもちろんですが、胸椎が柔軟に動き、肩の力は抜けて、顎は引かれ、視線は水平面で正面を見ることになります。
動きながら重力と仲良くし、微細なコントロール、身体全体で動くことが必要になります。
無駄な力を使わないためには、余計に筋肉の力で支えるのではなく、骨が重力線に沿って長軸方向にダイナミックに安定して使えていることが重要です。骨は長軸方向への圧迫に対し最高の強度を示します。
雑誌Natureによると、東アフリカのルオ族とキクユ族の女性を対象にした研究から、自分の体重の20%までの重さであれば、余分なエネルギーを消費せずに運べることが分かっています。
嘗て、高松市周辺では頭上に物を載せて運搬することを"いただき"と言い、その人を"いただきさん"と呼んでいたというのです。今では、その姿も次第に消え自転車などで鮮魚を行商する人を、糸より姫の伝説にちなんで"いただきさん" と呼んでいます。

↑ ツアーメンバーで岐阜から参加の母娘とクーフィーヤを買ってきた学生 ↓
クーフィーヤ
アラビア半島社会で男性が頭にかぶる装身具、頭巾。文語アラビア語では頭巾全般を指すが、現代アラブ世界の日常生活ではクーフィーヤはパレスチナの白黒頭巾を指すことが一般的である。

クーフィーヤは頭にかぶる頭巾であることからターバンと混同されることが多いが、アラビア語ではターバン形状の物をイマーマと呼び区別する。
ターバンが頭の上で巻いて固まっているのに対してクーフィーヤは首の後ろまで布が垂れていたり裾を肩周りにかけるなどして頭部全体を覆う。
ただしアラブ首長国連邦のようにターバン状に巻き上げるスタイルでも、赤白模様で元々イガールと組み合わせる用に作られた布地であればターバンという意味のイマーマではなくシュマーグと呼ばれたりもする。

模様は様々であるが網目状・麦穂状・ジグザグなどがあり、シュメール時代に豊漁や豊穣を願ってつけた頭巾の模様が起源だという説がある。

メーカーはシーズンごとに素材やデザインを新調し◯◯年モデルとして発売、販促を行うなどする。

なおクーフィーヤは主に男性用であり、アラブ人イスラーム教徒女性はヒジャーブ(民族衣装としてはそれ以外のヴェールやスカーフ類も各種存在する)を頭部に着けるなどする。
闇市
何らかの物価を統制する体制下で物資が不足した状況における、統制に外れ非合法に設けられた独自の市場経済原理で取引を行う市場。「ヤミ市」と表記する場合もある。
日本の闇市
太平洋戦争前
日本では1923年(大正12年)の関東大震災後、東京近郊で露天市が成立している。
また1939年に価格等統制令(昭和14年勅令第703号)が発せられ、商工省下の価格形成委員会(中央・地方)により公定価格が設定されるようになり、産業資材や食品など生活物資の多くは、卸売価格と小売価格が固定化された。

また、1940年からは都市部を中心に配給制度も始まった。 公定価格や配給は、製品の質をあまり問わず統一化されたため、原材料の入手難も加わり品質の劣化が激しくなった。
こうして希望する質、量を満たす商品を表立って自由に売買できなくなったことから、必然的にヤミ相場が形成され裏取引が行われるようになり、闇市が形成される余地が生まれた。
↑ 所狭しと並ぶ商品と路地の商店街 ↓








