塩分チャージタブレッツ
菓子メーカーのカバヤ食品が手がける「塩分チャージタブレッツ」は、汗をかいて失われた塩分を手軽においしく補給できるタブレット菓子です。
2009年の登場以来、スポーツに打ち込む子供や炎天下で長時間働く人たちを熱中症から守る強い味方として、支持を広げている。

「塩あめ」では消費者に浸透しない
「タブレット状にしたらどうか」。2008年、手軽に塩分が摂取できる菓子が作れないか模索していた本荘真司ら開発陣に、こんなアイデアが浮かんだ。
当時、地球温暖化の影響で熱中症で亡くなる人が増えており、部活動中に倒れる子供も相次いでいた。
熱中症予防をうたう塩あめは出回っていたが、口の中で溶けるのに時間がかかるうえ、しょっぱさと甘さが交じった味が受け入れられず、浸透していなかった。
「ジューC」のノウハウも生かしスポドリ風味に
アイデアの基になったのは、カバヤを代表する清涼菓子の「ジューC」だ。

粉末ジュースを錠剤のように固めたもので、そのノウハウを生かせば「口の中で溶けやすいものができる」と思いついたのだった。

ブドウ糖と食塩に、疲労回復に効果があるとされる酸味の強いクエン酸を加え、塩味を抑えてスポーツドリンクの風味を実現した。

1粒に含まれるナトリウムとカリウムの比率が汗とほぼ同じで、発汗によって失われた成分が効率よく吸収できるという。

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世界のアイスクリームの歴史
古代ギリシャやローマで、アラブで、そして中国でも、アイスクリームの前身である“甘い氷菓”は人々の心を虜にしました。
やがてアイスクリームはヨーロッパ各地に広がり、その後アメリカへ。工場での大量生産により、一大産業に発展しました。

アイスクリーム前史
古代のアイスクリームは今のシャーベットのようなもので、お菓子としてではなく疲れた体を元気にする「健康食品」として利用されていました。
アラブで、古代ギリシャやローマで、そして中国でも、この甘い氷菓は次第に人々の心を虜にし、王侯貴族や裕福な人たちに嗜好品として愛されるようになっていきます。
健康食品から嗜好品へ、古代の氷菓
氷雪は、はじめは食品を保存するために利用されました。やがて雪や氷を冬に貯蔵しておき、夏に食べるようになりましたが、当初は兵の士気を鼓舞し、肉体を元気づける健康食品として利用されていました。
この氷や雪を「健康食品」としてではなく、純粋に嗜好品として広めたのが、ローマの英雄ジュリアス・シーザー(BC100〜44)でした。
彼は若者をアペニン山脈に走らせ、そこから氷や雪を運ばせて、乳や蜜、ワインなどを混ぜて飲んでいたと伝えられています。
ネロも愛飲した氷菓「ドルチェ・ビータ」
暴君で名高いローマの皇帝ネロ(37〜68)はアルプスから奴隷に万年雪を運ばせ、バラやスミレの花水、果汁、蜂蜜、樹液などをブレンドして作った氷菓「ドルチェ・ビータ」を愛飲していたと言われています。
この「ドルチェ・ビータ」はローマ市民の間にも広がり、裕福な人々はそれぞれの自宅に氷の貯蔵庫を設け、宴会などで楽しんだと伝えられています。
また、ローマの将軍クイントゥス・マキシマス・グルゲオの文献には氷菓の製法が記され、これが最古のアイスクリームのレシピと言われています。
中近東、アフリカ、ペルシャに及ぶ大帝国を樹立したアレクサンダー大王(BC356〜323)は奴隷たちに山から氷雪を運ばせ、果汁に糖蜜を加えた飲み物を好んだと言われています。
マルコ・ポーロが伝えた「ミルクアイス」
アイスクリームがシルクロードを通り、中国からイタリアに伝わったという説があります。それを持ち帰ったのがマルコ・ポーロ(1254〜1324)だと言われています。
1295年、マルコ・ポーロは父と叔父との25年間のアジア横断の旅を終え、ベネチアに帰還しますが、ジェノヴァとの間で戦争が起こり、不運にも捕らえられて投獄されます。獄中で口述したのが「東方見聞録」。
マルコ・ポーロは北京で乳を凍らせた「ミルクアイス」を味わい、その製法をヨーロッパに持ち帰ったというのです。これはベネチアで評判になり、氷菓の製法は北イタリア全土に広がったと言われています。








