初日からアクシデント前の順調編
黒海
西部にはコーカサス山脈が延び、南岸にはアルボルズ山脈が走る。東岸ではマンギスタウ半島が大きくカスピ海に張り出しており、その南には非常に細い海峡でカスピ海と繋がれたカスピ最大の湾、カラ・ボガス・ゴル湾がある。

この湾は平均水深10mと非常に浅く、また乾燥地域にあるために蒸発が激しく、カスピ海の水位を押し下げる役目を果たしてきた。
1980年にカスピ海の水位低下を防ぐために海峡にダムが建設された際は湾は干上がり、周辺に塩害をまき散らした。また東岸はほぼ全域が乾燥地帯であり、カラクム砂漠などの砂漠が広がる。

北東岸は冷たい大陸性の気候である一方、南岸や南西岸は山地の影響を受けるものの基本的に暖かな気候である。
特にイラン領である南岸は、アルボルズ山脈でカスピ海からの風が降雨をもたらすため、年間平均降水量が1000mmを越える湿潤な気候であり、「緑のリボンの谷」とも呼ばれる。

この地域では、小麦や羊を中心とするイランの他の地域とはちがって、米と牛、それに茶を中心とする農業が盛んに行われている。
西岸にはアブシェロン半島が張り出しており、その南にはクラ川の流れるムガン低地(南カスピ低地)がある。

カスピ海には多くの島々がある。島はどれも沿岸近くに位置し、湖の中心部近くには全く存在しない。
最も大きな島はオグルジャリ・アダシ島で、他にホラズム・シャー朝の第7代スルタンアラーウッディーン・ムハンマドがモンゴル帝国の侵攻から落ち延び、死亡した場所で知られるアバスクン島などがある。
カスピ海湖上には多種多様な湖風が吹くが、中でも南風であるマリャーナは北部カスピ海に強く吹き、カスピ海沿岸低地に洪水を引き起こす。
バルカン半島、アナトリア半島、コーカサスと南ウクライナ・クリミア半島に囲まれており、ドナウ川、ドニエストル川、ドニエプル川などの東ヨーロッパの大河が注ぐ。アナトリアとバルカンの間のボスポラス海峡、マルマラ海、ダーダネルス海峡を通じて地中海に繋がっており、クリミアの東にはケルチ海峡を隔ててアゾフ海がある。

黒海に面する国は、南岸がトルコで、そこから時計回りにブルガリア、ルーマニア、ウクライナ、ロシア、部分的に承認された国家: アブハジア, ジョージアである。
黒海に面する有名な港湾には、イスタンブール(ビュザンティオン、コンスタンティノープル)から時計回りにブルガス、ヴァルナ、コンスタンツァ、オデッサ、セヴァストポリ、ヤルタ、ノヴォロシースク、ガグラ、バトゥミ、トラブゾン、サムスンなどがある。

名称
日本語では専ら黒海(こっかい)と呼ばれる。英語ではBlack Sea、トルコ語ではKaradeniz、ロシア語ではЧёрное море、ウクライナ語ではЧорне мореとなる。
トルコ語のKara Denizには「偉大なる海」という意味の他に「黒い海」という意味もあり、ちなみに地中海はトルコ語でアク・デニズ(白い海)という。

名称の変遷
ギリシア神話の時代には、黒海沿岸などギリシアより北方の未開地に女性だけの部族アマゾンがいて、黒海もかつてアマゾン海と呼ばれた。現にトルコ沖にはアマゾン島がある。

古く(紀元前700年頃〜500年頃)は、古代ギリシア語でポントス・アクセイノス。暗い、薄暗い海。愛想が悪い海。)ラテン語でPontus Euxinus(ポントス エウクセイノス。客人を歓待する海、客あしらいのよい海。)と呼称されていた。

ギリシャ人が進出し、自分たちの勢力圏とすることで、前者が後者に変わった、とされる。東ローマ帝国の文書内ではPontos(ポントス)とだけ記述されている場合が多い(ギリシア語で「海」の意)。

中世(500年頃〜1500年頃)には、イタリア語文献ではMare Maggiore(Greater Sea、偉大なる海)という名称が用いられ、アラブの文献では多数の名称(ローマの海、偉大なる海、トラブゾンの海、等)が用いられている。

オスマン帝国期(1500年頃〜1700年頃)には、オスマン帝国初期にトルコ語でKara Deniz(黒い海)という名称が文献に現れ始める。
ロシア帝国期(1700年頃〜1860年)には、Чёрное море(Chernoe More、黒い海)という名称が用いられている。
1860年以降になると、Black Sea(黒海)という英語の呼称が国際的に使われるようになった。


