灯台
千葉県銚子市の犬吠埼に立つ第1等灯台。水郷筑波国定公園内に位置する。世界灯台100選、日本の灯台50選に選定され、Aランク保存灯台。
2010年に国の登録有形文化財に登録を経て、2020年に国の重要文化財に指定された。

日本を代表する灯台の一つで、歴史的文化財的価値が高く、国の重要文化財に指定され、海上保安庁により「Aランク保存灯台」ともなっており、世界灯台100選、日本の灯台50選にも選ばれている。

日本に5つしかない最大の第1等レンズ(1等4面フレネル式閃光レンズ)を使用した第1等灯台である。
電球は400ワットのメタルハライド電球を使用し、110万カンデラの光を放つ。

灯塔高(地上から塔頂までの高さ) 31.3メートルで、煉瓦製の建造物としては尻屋埼灯台に次ぐ、日本第2位の高さである。
設計、施工監督者はイギリスから招いた灯台技師、リチャード・ヘンリー・ブラントンである。

建設当初より白色塔形(円形)の煉瓦造灯台であるが、この煉瓦は内務省の土木技師中沢孝政によって生産が試みられた初の日本製(新治県香取郡高岡村、現在の千葉県成田市高岡)であり、およそ19万3000枚が灯台本体のほか、付属施設にも使用されている。

白い郵便ポスト
日本の郵便法による正式名称は郵便差出箱という。
日本もイギリスより郵便制度を導入したため基本的に赤色だが、1996年以前から使用されている郵便差出箱 1号から9号と、1996年に使用開始された新型の郵便差出箱 10号から14号とで若干色合いが異なっており、前者は一般的な朱色に近い赤色であるのに対し、後者は通常の赤色(ただし脚柱部分は黒色、差入口(投函口)周辺は銀色)に塗装されている。
この他、速達用としては青色、大型の集配所内に設置されているものでは国際郵便用の黄色のポストもある。
ブラントンは当初、日本製煉瓦の使用に反対したといわれ、その強度に不安を感じたためかそれまでの灯台の構造とは違って二重構造になっているが、140年以上の風雪に破損されることも無く耐え今日に至っている。

灯台の竣工間近、巨大なレンズを見た地元漁師は驚き恐れ「灯台成リ、大洋灯ヲ点ジ海上ヲ照ラスニ至レバ、是ガタメ沿岸ノ魚族ノ棲息ヲ絶チ、漁民ハ特ニ大イナル悲運ニ遭遇スベシ(灯火が明る過ぎて魚が獲れなくなる)」と、灯台建設の即時中止の請願運動を展開したが、灯台初点灯の翌年に鰹が稀にみる豊漁となり、杞憂であるばかりか、「灯台様のお陰」と喜ばれる結果となった。

周辺は水郷筑波国定公園に指定されており、太平洋を臨む景勝地として多くの観光客が訪れている。

歴史
犬吠埼を仰ぐ銚子は、太平洋に突出する銚子半島と利根川河口による天然の良港として、古くから交通の要所、魚介類の水揚げ場(銚子漁港)、醤油の生産地として栄え、多くの船舶が入出港していた。

しかし、犬吠埼付近に岩礁、暗礁が多く、海流が複雑で、鳴門海峡、伊良湖岬沖と共に、海の三大難所として多くの人命が失われた場所でもあった。

1868年10月6日(慶応4年8月21日)には、幕府の軍艦「美賀保丸」が暴風雨に遭い、黒生(くろはい)沖の岩礁に乗り上げて座礁沈没、乗組員13名が死亡するという事故も起きていた。

このような状況の中、銚子漁港の改修と洋式灯台の設置が求められ、明治時代初期に江戸条約によって建設された8基、及び大坂条約によって建設された5基の洋式灯台に続く重要な灯台として建設が決まった。

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旧東京灯標の三等レンズ
このレンズは東京港の入り口に昭和44年(1969)に設置された東京灯標に使用されていた三等レンズで、平成22年(2010)年に廃止されるまで約40年間、東京港を利用する船舶の安全に寄与していました。
旧沖の島灯台国産一等レンズ
このレンズは福岡県宗像市の沖ノ島灯台で大正11年(1922)から平成19年(2007)まで約85年間使用されていたものです。
レンズの高さ2.53m、直径3.03m、レンズの重量2.65トン、装置全体の高さ5.15m、総重量13トンです。
回転装置と一体となった一等レンズの全容を見ることができるのは犬吠埼の展示館のみです。
沖ノ島灯台では、大きい方のレンズに赤色のフィルターが付けられ、25秒を隔てて10秒間に2閃白光、さらに25秒を隔てて1閃紅光を発していました。

霧笛を鳴らすための設備
五里霧中の船舶が頼みにした霧笛も、近年の船舶レーダーやDGPSなど補完技術の進歩や灯台の完全無人化もあって、ついに100年の歴史に幕を引くことになったのです。
特筆すべきは、
犬吠埼の霧笛は日本に現存する唯一のエア・サイレン式という貴重なもので、まず原動機とコンプレッサーで圧縮空気を作り、一旦これを数基の大型タンクに蓄え、次ぎに決められた周期で勢いよく吹鳴器に圧縮空気を送り込んで発音させ、屋上に突き出た巨大なラッパから霧深い海に向けて大音響を放つという仕組みでした。
この時代物の扱いにくい機械装置が、明治の面影をそのまま残す全鉄製のカマボコ形霧笛舎とともに、つい最近まで現役として立派に稼働していたのは実に多くの人々の努力に支えられてのことでした。」屋上に突き出た巨大なラッパから霧深い海に向けて大音響を放つという仕組みでした。
この時代物の扱いにくい機械装置が、明治の面影をそのまま残す全鉄製のカマボコ形霧笛舎とともに、つい最近まで現役として立派に稼働していたのは、実に多くの人々の努力に支えられてのことでした。」





