内橋亭(うちはしてい)
兼六園の中程にある大きな池「霞ヶ池」。その池のほとりに立つお食事処・お土産処です。
↑ 台湾花蓮からの観光客 内橋亭 ↓
かつて蓮池庭内にあった四亭の一つで、霞ヶ池の西南岸に設けられた水亭。
蓮池馬場の馬見所に建てられていたものを、明治7年(1874)、現在の場所に移築しました。

栄螺山のうっそうとした樹々を背景に、石脚で支えられたこの亭は、まるで水面に浮かんでいるような印象を与えます。
↑ 海石塔 内橋亭 ↓
池の上に立つ水亭と手前のお部屋の間に橋が掛かっていることから「内橋亭」と呼ばれました。

もと蓮池庭(兼六園の始まりとなった庭園)内にありました四亭の中の一つで、鯰之亭(なまずのてい)ともいわれており大変歴史のある建物です。
店内から眺める兼六園は、通路から眺めるものとは一味違った景色が楽しめます。

夕顔亭
約240年前に作られた大名茶室
夕顔亭は、瓢池(ひさごいけ)の傍にある茅葺屋根の茶室です。
1774年、十一代藩主、前田治脩(はるなが)によって建てられた茶室で、兼六園四亭の一つ。
1989年に石川県の有形文化財に指定されていて、建物も茶庭も約240年前のまま保存されています。
建物保存のため、夕顔亭内部の見学はできません。露地(茶庭)への立ち入りも禁止されています。

名前の由来
夕顔亭(ゆうがおてい)という名前の由来は、茶室内の床の間の壁に、瓢箪(ひょうたんは夕顔の実)の透かし彫りがあるので、夕顔亭と呼ばれます。
ひさご池に落ちる翠滝(みどりたき)の音と、湯の湧く音を楽しむために作られた茶室で、作庭当時は滝見之御亭、中嶋之茶屋とも呼ばれていました。
夕顔亭の特徴
締め切った状態で使用する一般的な茶室ではなく、障子戸を空けると庭や池が見えるように、また、障子戸を開けても閉めても滝の音が開こえるように設計されています。
建物の外見だけがお茶室風なのではなく、本格的に茶の湯ができるように炉とか五徳などがあります。

兼六園管理事務所監修の冊子「兼六園」には以下のように書かれています。
本席は千利休の高弟・古田織部(ふるたおりべ)好みの3畳台目、下座床、相伴畳付きで、本格的な茶の湯を催せるようになっている。
大名茶室と呼ばれる作りになっていて、時代劇で見かけるお茶室に必ずある「にじり口(かがんで入る小さい入り口)」がありません。
大名茶室とは、伝統的な茶室の作りにこだわらず、大名の好みに合わせてオーダーメイドした遊び心あふれる茶室です。夕顔亭が大名茶室と呼ばれる所以は、露地にも表れています。
お庭には飛び石がいっぱい。
飛び石とは、お茶室に向かう際に踏んで行く道に並べられた石のことで、お茶室に向かう際に飛び石以外の場所を踏んで歩くことはありませんでした。
飛び石以外の場所を歩くことは、茶室の持ち主に対してとても無礼な事で、下品とされています。
夕顔亭の場合、露地にある飛び石が、大きいのや小さいのがたくさん、ポンポン置かれているよう見えます。
飛び石伝いに蹲踞石(そんきょいし:かがんでお庭を眺めるための石)、手水鉢、灯籠があります。
この飛び石、大きい石は殿様用、中くらいの石は奥方用、小さい石は若君や姫君用となっていて、それぞれの入り口へ続いています。
奥方や子息であっても、殿様と同じ入り口から茶室に入ることは許されなかったようです。
庇は深く、戸を開け放っても雨や雪が入り込まないようになっています。

伯牙断琴の手水鉢(はくがだんきんのちょうずばち)
露地庭の中心に、黒い円筒形の手水鉢があります。
伯牙断琴の手水鉢(はくがだんきんのちょうずばち)と呼ばれる手水鉢で、高さ45cm、直径85cm。
加賀藩が採掘を独占した門外不出の珍石、坪野石(つぼのいし)で作られています。
作者は、金工で有名な後藤程乗(ごとうていじょう)。
金工とは彫金士のことで、後藤程乗は名工(めいく:名人)と呼ばれていました。
後藤程乗親子は、五代藩主、前田綱紀(つなのり)が京都からわざわざ呼び寄せた、と言われています。
彫金士の名人なのになぜ石を彫って手水鉢を作ったのか、以下の話が伝わっています。
ある日、後藤程乗は、五代藩主、前田綱紀に呼ばれ、こう言われました。
綱紀:「いかに金工の名人でも、石は彫れんだろ?、ぁあん?」
後藤程乗:「金が彫れて石が彫れないわけがございません。」
と言い放って彫ったのが、伯牙断琴の手水鉢です。
伯牙断琴の手水鉢の色は黒、横から見ると四角形、上から見ると丸です。
手水鉢の下の台は白御影石(しろみかげいし)で、色は白、形は四角形です。
黒と白、丸と四角は対比になっていて、お互いの色や形をより際立たせて見せるための趣向となっています。
伯牙断琴の手水鉢の後ろにあるでっかい木はシイノキで、根元には、地中に穴を開けた井戸のような手水鉢があります。
水が湧いている本物の井戸ではなく、かやぶき屋根の建物の雰囲気に釣り合うように、井戸に似せて作った手水鉢のようです。
また、シイノキの手前に植えられているユズリハは、若葉が生える頃に、古い葉が若葉に譲るように散るところから、世代交代の縁起を担いだ木とされています。
伯牙断琴の手水鉢の名前の由来
昔々、中国に伯牙(はくが)という琴の名人がいました。
伯牙は、亡くなった友の死を悲しむあまり、「もう琴は弾かないぞ!」と、琴の糸を切ることで琴を断った、ということです。
手水鉢には、半円形に彫られた水の溜まる箇所があり、残りの半円部分に、この故事を浮彫にした彫刻があります。
手水鉢には、悲しんで横たわる伯牙の姿が彫られています。と説明されていますが、手水鉢を見に立ち入ることはできません。

竹根石手水鉢
竹根石手水鉢(たけねいしちょうずばち)は、高さ65cm、直径42cm。
軽石みたいなポコポコ穴の開いた灰色の石をくりぬいたような姿の手水鉢です。
竹の根の化石を利用した手水鉢、とされてきましたが、実際はヤシ類の化石です。
なぜ、竹根石手水鉢が夕顔亭に置かれているのでしょう?。
本来、露地内には、植物、石、灯篭、手水鉢などが役割や意味があって置かれているものです。

例えば、建物の裏側にはカシワの木がありますが、カシワは葉が枯れてもなかなか落ちないところから、生命力や子孫繁栄を願って植えられたものです。
竹根石手水鉢については、茶庭の中での役割があって配石されたものではなく、竹根石が珍しかったために据えられたものではないか、とされています。






