戌亥櫓(乾櫓)は本丸の北西隅に位置していた櫓でした。



 

現在、櫓はありませんが櫓台からは二の丸に復元された菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓を眺めることができます。



 

二の丸と三の丸を一望できる高台にある戌亥櫓跡は、おそらく金沢城内で最も見晴らしの良い場所ではないでしょうか。


 

残念ながら櫓はなく、櫓があったであろう土台のみが残るのみ。


 

↑ 戌亥櫓跡 ↓

 

海抜60メートルという高台にあるため、金沢城内を一望できるビュースポットでもあります。

 

戌亥櫓跡は金沢城内を一望できる最高のビュースポット。

 

ただ、樹木に覆われた本丸園地の先にあるためか、意外に人が少ない。でもこの景観は一見の価値ありと思いますよ。

 

ここに建てられていた戌亥櫓は、落雷により天守が焼失した跡、天守の代わりに建てられました。

 

天守の代わりに建てられたという戌亥櫓は、外観は2層3階建て、内部は5階構造で、北と西に「出し」という出窓がついた櫓だったそうです。

物見だけでなく、藩主の憩いの場や私的な会見の場所としても使われていたと伝えられてます。

物見を兼ねた小さな天守ということでしょうか。




戌亥櫓跡(いぬいやぐらあと)
本丸の北西角、戌亥の方角に当たることから「戌亥櫓」と呼ばれていた。西と北に「出し」という出窓がついている二層の櫓だった。宝暦火災(1759)の後、再建されなかった。


 

戌亥櫓石垣(いぬいやぐらいしがき)
 この石垣は「粗加工石積み(あらかこういしづみ)」の積み方をしていますが、石の隙間に平らな石をはめ込み、「切石積み(きりいしづみ)」のように見せる技法が用いられています。

長い年月の間に石が抜け落ちていますが、当時の巧みな技術を見ることができます。
はめ込まれた石が残っているところと抜けおちたところを比較しながら、当時の姿を想像してみてください。



 

創建 寛永8年(1631)頃
改修 寛文(1661〜1673)頃、明和3年(1766)
現状 西面(正面)の大部分は寛文頃の改修時、一部明和3年の改修時の姿を残す。


 

金沢城の歴史
中世末期に一向一揆の拠点として金沢御堂(かなざわみどう)がこの地に置かれ、天正8年(1580)に佐久間盛政(さくまもりまさ)が入城し、金沢城の造営が始まりました。



その後、天正11年(1583)前田利家(まえだとしいえ)が入城し、本格的な近世城郭へと姿を整えていきました。


 

文禄元年(1592年)の石垣普請(ふしん)、元和7年(1621年)の本丸の拡張などを経て、寛永の大火後(1631年以)現在の金沢城に近い姿になりました。

 

左の絵図は江戸初期、右の絵図は宝暦大火後(1759年以後)の姿を描いたものです。江戸初期の絵図には、石川門の構造が現状と異なり、二の丸が狭く、三の丸や新丸などに家臣の屋敷があるなど、江戸後期の絵図と異なるところが多く見られます。


現在天守閣はありませんが、慶長7年()1602年に落雷によって焼失するまで本丸に聳えていました。

 

焼失後、天守閣の代わりに三階櫓が建てられ、宝暦9年(1759年)の火災まで城のシンボルとなっていました。
 

二の丸には寛永の大火後、二の丸御殿が造られ、藩主の御殿および藩庁として藩政の中心にありました。


 

三の丸には鉄砲所、新丸には作事所・細工所などの施設がありました。


明治4年(1871年)廃藩置県で明治政府の所轄となって旧陸軍の拠点となり、昭和24年(1949年)からは金沢大学のキャンパスになりました。



その後、大学の移転により平成8年(1997年)に石川県が取得し、金沢城公園として整備を実施しています。建物こそありませんが、石垣は見事です。

 

 

旧陸軍のトンネルと大堀切 
戌亥櫓跡からは、本丸との間に掘られた大堀切が見えます。

奥の方にひっそりと移ってる建物は鶴丸倉庫ですね。


 

もともとは地続きだったそうですが、江戸後期?から明治初期に掘削されたらしいです。

旧陸軍が作ったというレンガ作りのトンネルも見れます。



本丸の正門・鉄門(くろがねもん)
三十間長屋の向いには、本丸の正門・鉄門があります。
現在は石垣のみが残っています。


かつてはこの石垣の上に渡し櫓が乗っていたそうなのでかなり重厚な門だったんでしょうね。
鉄門の創建は、はっきりとはわかっていないそうですが、寛永8年(1631)の大火の後、二の丸から本丸に入る正門となったそうです。




鉄板を貼った扉がつけられていたことから「鉄門」という名前が付いたそうです。
渡し櫓もあって、鉄の扉もあったということは、かなり堅牢なもんだったんでしょうね。

 

 

 

↑ 戌亥櫓石垣 ↓

 

 

石垣は切石積み。
金沢城では、切石積みは城の需要な部分によく用いられています。(切石積みは石をきれいに加工して隙間なく積んでいく技法のことです)




鉄門の石垣は切石積み。



 

金沢城では、切石積みは城の需要な部分によく用いられています。(切石積みは石をきれいに加工して隙間なく積んでいく技法のことです)



 

↑ 戌亥櫓石垣刻印の有る石垣の石 ↓