極楽橋
金沢城の二の丸広場と本丸の間にある空堀にかかっているアーチを描いた木橋は「極楽橋」と言います。

 

↑ 上の方に見えているのは重要文化財三十間長屋 極楽橋 ↓


 

極楽橋は、二の丸広場と三十間長屋のある本丸へといくときに渡る橋。
橋爪門の方から行くと左側にあります。

 

 

極楽橋という名前は江戸時代から使われていて、金沢御堂に由来するそうです。


 

なんでも昔、金沢御堂に参詣する人は、朝、念仏を唱えながらこの橋を渡り、夕方、日本海に沈む夕日を拝んで極楽往生を願って帰ったと言われているらしい。


 

そのためこの橋を極楽橋と呼ぶそうになったとのことです。


 

金沢御堂とは、一向宗の拠点のお寺
加賀の一向一揆の拠点ともなっていて天文15年(1546)に築城されてます。


 

それが天正8年(1580)に織田軍の柴田勝家によって攻略され、天正8年(1580)に佐久間盛政が入城してます。


 

その後、賤ケ岳の戦いを経て天正11年(1583)に加賀藩初代藩主・前田利家公が入城するのです。


 

佐久間盛政によって、金沢御坊だった頃のものはほとんど壊されたそうですが、地形はそのまま利用したというふうに考えられてます。

 

名前の由来は金沢城以前の金沢御坊に由来すると言われてます。

 

 

↑ 水飲み場 三十間長屋 ↓

 

 

三十間長屋
本丸付段に安政5年(1858年)に再建された長屋で、金沢城に現存する長屋建築としては唯一のものです。



 

宝暦の大火(1759年)で焼失した後、100年近くたって再建されました。幅3間、長さ26.5間余りの2階建て多聞櫓で、鉛瓦葺の堅牢な構造が特徴的です。


 

この鉛瓦ってのは金沢城の大きな特徴の一つで。瓦の表面に鉛板が貼ってあります。
この鉛が放つ白くて鈍い光沢が実に美しく費用も嵩みました。加賀百万石の財力があったればこそできた贅沢なんです。

 

この三十間長屋、金沢城においてはとても重要な建物です。


江戸期に建てられたもので現存する、たった3つの建築の内のひとつで非常に貴重なんです(後のふたつは石川門と鶴丸倉庫)。





用途は倉庫。
「鉄砲蔵」などとも呼ばれてたので、かつては武器庫として使用されていたようです。

壁面の腰回りにはこれまた金沢城の大きな特徴である海鼠壁(なまこかべ)。
四角い瓦をタイルのように互い違いに敷き詰め、隙間を漆喰でかまぼこのようにこんもりと盛り上げてあります。

 

底部の石垣も大きな見どころで、「金場(かなば)取り残し石垣」と呼ばれています。
石をガチガチ組み上げること自体は一般の石垣と同じですが、表面にわざと凹凸をつけてあります。これにより視覚的堅牢さを表現したのです。


 

表と裏で装飾に違いがあるのが分かるはず。


表側はのっぺりとした退屈な見た目なのに、なぜか裏側には派手な出窓が三つ。
中央は入母屋造り、両側ふたつは唐破風。なぜか表より凝った装飾になってます。

 

なぜ?
これはまあちょっと考えれば分かるんですが、城外から金沢城を眺めた場合、この裏側が「見える側」になるんですね。

 

なので「見えない側」の表面はシンプルにして、「見える側」の裏面は豪華にしてあります。


そしてもうひとつの注目ポイントが屋根の造り。左右で違う造りになってます。
この三十間長屋は、1759年に起きた宝暦の大火で1度消失しています。この消失前、実は右側に櫓が建っていたのです。




その約100年後の1858年に建てられたのが、今ある三十間長屋です。
ただこの時の再建では、櫓までは造られなかったのです。

財政状の問題からか、それとも必要性の問題からかは知りませんが、とにかく後回しにされました。

でも将来的には作る可能性もあるから、その時は改めてこの三十間長屋に接続させようとしたのかも知れません。



 

本丸の森
現在の本丸跡は自然の雑木林になっています。このあたり一帯の「本丸園地」と名付けられエリアには散策路が設けられています。


 

散策路と言っても、雑木林を切り開いた道ですので、山道のように「足元にお気をつけください」という感じの道が続いています。



 

↑ 金沢城の石垣巡り三十間長屋コース ↓

 

 

本丸付段・薪ノ丸
金沢城の本丸附段から薪の丸へと続く通路は、高さ約10メートルの急斜面を、何度も折れ曲がりながら本丸附段と薪の丸とを結ぶ石段の通路だったそうです。

現在は、本丸附段に残る建物は三十間長屋のみですが、江戸時代前半までは通路の降り口の脇に櫓が立っていたそうです。

薪の丸には、前田家に伝わった刀剣・書類などの宝物を収める蔵が置かれていて、役所や番所などが立ち並んでいたそうです。

現在は建物があったとは思えない、完全なる森と化してますが。

薪の丸という名前は、加賀藩3代藩主前田利常の正室である珠姫が、本丸に居住していた頃に、薪を置いていた場所だったことから「薪の丸」という名前がついたらしい。

珠姫は江戸幕府の徳川第2代将軍・秀忠とお江の方の娘です。

 

 

本丸園地まで上ってくる人はほとんどいません。それでも雑木林に足を踏み入れる人は「この先には何かあるのかな」と期待して入って行くのですが、「何もなかったよね」という感じで鶴の丸広場へと下っていきます。




↑ 菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓 ↓



 

 

 

鉄門の石垣は切石積み
金沢城では、切石積みは城の需要な部分によく用いられています。



 

↑ 切石積みは石をきれいに加工して隙間なく積んでいく技法のことです ↓



 

鉄門の石垣は切石積み。

金沢城では、切石積みは城の需要な部分によく用いられています。